人生幸朗・生恵幸子
メンバー人生幸朗
生恵 幸子
結成年1954年
解散年1982年
事務所吉本興業
芸種漫才
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人生 幸朗・生恵 幸子(じんせい こうろう・いくえ さちこ)は、日本の夫婦漫才コンビ。昭和後期(戦後)に大阪を拠点に活動した。
夫の幸朗が歌謡曲や世相などにとんちんかんな難癖をつけ、「責任者出てこい![1]」の決めゼリフを吐く「ぼやき漫才」で、テレビ・ラジオを通じ、関西のみならず全国的に認知された。 それぞれのメンバーが別のコンビで活動したのち、1954年に結成。1963年以降吉本興業に所属し[2]、同社の劇場を拠点とした。寄席出演のかたわら、草創期の在阪民放テレビ局の演芸番組に頻繁に出演するようになる。当初は都家文雄直伝の社会・世相・時事を扱ったぼやきに徹したが、2人は漫才作家の用意した台本を覚えるのが早くても15日はかかったため、ネタが古臭くなるのを避けて、流行歌にぼやくスタイルに変わったという。
コンビ略歴
各地の刑務所をノーギャラで慰問することをライフワークとした[1]。慰問活動の期間は1953年頃から27年間におよび、法務大臣賞を受賞するに至った[2]。 人生 幸朗
受賞歴
1974年 上方漫才大賞奨励賞[1]
1977年 上方お笑い大賞[1]
1978年 大阪市民表彰
弟子
園みち子
メンバー
本名比田 孝三郎
生年月日1907年11月2日
没年月日 (1982-03-04) 1982年3月4日(74歳没)
国籍 日本
出身地大阪府中河内郡長瀬村
言語日本語
師匠荒川芳丸
都家文雄
コンビ名都家文蔵・高田田鶴子
人生航路・庭野千草
人生幸朗・生恵幸子
相方生恵幸子
芸風漫才
事務所吉本興業
活動時期1940年 - 1982年
親族生恵幸子(妻)
弟子柳井幸多朗
生恵 幸子
本名赤田 松子
生年月日1923年9月25日
没年月日 (2007-02-05) 2007年2月5日(83歳没)
国籍 日本
出身地大阪府大阪市
言語日本語
最終学歴尋常小学校
コンビ名北斗七星・庭野千草
人生航路・庭野千草
人生幸朗・生恵幸子
相方北斗七星、人生幸朗
芸風漫才
活動時期1935年 - 2002年
親族北斗七星(前夫)、人生幸朗(夫)
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生恵 幸子(いくえ さちこ、1923年9月25日[6] - 2007年2月5日[6])
妻。ツッコミ担当。本名:赤田 松子(あかだ まつこ)。