人民議会_(東ドイツ)
[Wikipedia|▼Menu]

人民議会
Volkskammer
第1期 - 第10期

種類
種類一院制(1958年までは参議院(ドイツ語版)との二院制
沿革
設立1949年
廃止1990年10月3日
前身国会(英語版)
後継連邦議会
役職
初代 議長ヨハネス・ディークマン(ドイツ語版)(ドイツ自由民主党
第5代 議長
(最後の議長)ザビーネ・ベルクマン=ポールキリスト教民主同盟
定数500(最末期は400)
議事堂

東ドイツ東ベルリン
共和国宮殿

人民議会(じんみんぎかい、ドイツ語: Volkskammer)は、かつてのドイツ民主共和国(東ドイツ)の立法府

"Kammer"はドイツ語で「部屋」の意味(英語の"chamber"にあたる)だが、歴史的にはドイツ革命直後のザクセン王国議会が、1919年2月から1920年11月まで、それまでの"Sachsischer Landtag"に代わって"Sachsische Volkskammer"の呼称を用いていた。
概要1976年以降に人民議会の議場が置かれた共和国宮殿1950年の第1回人民議会1989年11月13日 ベルリンの壁崩壊直後の人民議会本会議

ドイツ民主共和国憲法によれば人民議会は国民によって選出された最高の国家権力機関であり、憲法の改正、法律の制定、国家評議会国家評議会の議長国家元首)・閣僚評議会(ドイツ語版)(内閣に相当)・国防評議会(ドイツ語版)議長(国防委員会委員長)・最高裁判所(ドイツ語版)の所長および判事・検事総長の選出、経済計画の決定などの権限を持つとされていた。また、アメリカの連邦議会日本の国会などのように分野別の委員会制度が導入されていた。

しかし、実態は1989年民主化以前は憲法で「国家を指導する」とされていたドイツ社会主義統一党(SED)の中央委員会政治局で決定した内容を追認する役割しか持っていなかった。議会の本会議が開催されるのは年に3,4回程度であり、法案や人事案も殆どが満場一致の賛成で承認されていた[1][注釈 1]。また、後述するように議員の選出方法も形式的なものであり、人民議会は「国民が選出した代表による民主政治」という建前を示すためのものでしかなかった[1]

なお、初期には人民議会の他に各州の代表からなる共和国参議院(ドイツ語版)も存在したが、1952年以降は中央集権政策によって州が14のに再編され、1958年には共和国参議院も廃止された。
議会組織
歴代議長

代氏名出身政党就任年月日退任年月日
1ヨハネス・ディークマン
(ドイツ語版)ドイツ自由民主党1949年10月7日1969年2月22日
2ゲラルト・ゲッティング(ドイツ語版)キリスト教民主同盟1969年5月12日1976年10月29日
3ホルスト・ジンダーマンドイツ社会主義統一党1976年10月29日1989年11月13日
4ギュンター・マロイダドイツ民主農民党1989年11月13日1990年4月5日
5[注釈 2]ザビーネ・ベルクマン=ポールキリスト教民主同盟1990年4月5日1990年10月2日

選挙と議席
選挙

選挙は下記の10回行われている。

第1回選挙
(ドイツ語版) 1950年10月15日

第2回選挙(ドイツ語版) 1954年10月17日

第3回選挙(ドイツ語版) 1958年11月16日

第4回選挙(ドイツ語版) 1963年10月20日

第5回選挙(ドイツ語版) 1967年7月2日

第6回選挙(ドイツ語版) 1971年11月14日

第7回選挙(ドイツ語版) 1976年10月17日

第8回選挙(ドイツ語版) 1981年6月14日

第9回選挙(ドイツ語版) 1986年6月8日

第10回選挙 1990年3月18日

民主化された後に行われた1990年の選挙以外は「国民戦線(ドイツ語版)」を形成する5つの政党や団体ごとに議席数が決まった統一名簿が作成され、それに賛成か反対かを問うという形式であった。このため選挙による党派の議席変動などというものは生じず、常にSEDが最大勢力であるようになっていた。

憲法第54条では「人民議会は国民により、自由普通平等秘密の選挙において」選出されると規定されていたが、実際の選挙の投票方法は、
有権者が投票所に行くと投票用紙を交付される。

賛成の時は何も書かずに、そのまま投票用紙を投票箱へ入れる。

反対の時は記載台まで行き、投票用紙に印を書いてから、投票用紙を投票箱へ入れる。

というものであり、反対の時だけ記載台に行くことになるため誰が反対票を投じたのかすぐに分かるようになっていた[2][注釈 3][注釈 4]。また棄権すると棄権者は体制への反対派とみなされて地位を失ったり、西ドイツの親戚を訪ねようとしても出国ビザが発給されないなどの嫌がらせを受けた[3]。このため、毎回投票率は99%以上、賛成率も99%であった。なお、大都市部では相互の監視が弱いため棄権率・反対率はやや高めであり、最も棄権率・反対率が高かったのは東ベルリン[2]であった。
議席配分

1967年の第5回選挙以降は下記の議席数に固定されていた。それ以前も数に違いはあるがSEDが最大勢力で固定されていることには変わりが無い。東ベルリンは建前上はソ連占領地区であったため東ドイツの議会に直接議員を送ることができず、東ベルリン市の市議会から代表を送っていたが、1981年からは東ベルリンも直接選出に切り替えている。

ドイツ社会主義統一党(SED) 127議席

キリスト教民主同盟(CDU(DDR)) 52議席 - 西ドイツのキリスト教民主同盟とは別団体。

ドイツ自由民主党(LDPD) 52議席 - 西ドイツの自由民主党(FDP)とは別団体

ドイツ国家民主党(NDPD) 52議席 - 現在のドイツの極右政党ドイツ国家民主党(NPD)とは別団体

ドイツ民主農民党(DBD) 52議席

自由ドイツ労働総同盟(FDGB) 68議席

自由ドイツ青年団(FDJ) 40議席


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:35 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef