人民元
人民?(中国語)
ISO 4217
コードCNY
RMB
中央銀行中国人民銀行
ウェブサイト ⇒www.pbc.gov.cn
公式
使用国・地域 中国
非公式使用
国・地域 香港(一部スーパーマーケットのみ)
澳門(マカオ)(一部スーパーマーケットのみ)
北朝鮮(外国人のみ)
モンゴル国
ミャンマー(ワ州などのみ)
インフレ率2.8%
情報源The World Factbook
人民元(じんみんげん)は、中華人民共和国の中央銀行である中国人民銀行が発行している通貨である人民幣(じんみんへい、人民?、.mw-parser-output .pinyin{font-family:system-ui,"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}.mw-parser-output .jyutping{font-family:"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}?音: Renminbi,レンミンビ)の、日本における呼称である。日本では他に、中国元と呼ばれることもある[1]。
略号はRMB、またはISO 4217での通貨コードのCNY。通貨数量の前に\(円記号)を用いる[1]。なお、香港特別行政区とマカオ特別行政区では、それぞれ独自の通貨単位である香港ドルおよびマカオ・パタカが発行されている。 実際に発行、流通する紙幣には、「?」(日本における「円」の正字である「圓」の簡体字)と単位表記されている。「?」には、発音が同じ「yuan」で画数の少ない「元」を充てるのが習慣となっているため、「人民元」と呼ばれる。ISOコードのCNYは「Chinese yuan」の略であり、そこから「中国元」とも呼ばれている。中国王朝の一つである元は、表記も発音も同じであるものの無関係である。中国語では、貨幣の単位を話し言葉と書き言葉とで使い分け、口語では「元」を「?(塊、?音: kuai)」と呼ぶ。「塊」はもともと銀塊が通貨として使われたことに由来する。内モンゴル自治区などではモンゴル語で「tugurig」(モンゴル語: .mw-parser-output .font-mong{font-family:"Menk Hawang Tig","Menk Qagan Tig","Menk Garqag Tig","Menk Har_a Tig","Menk Scnin Tig","Oyun Gurban Ulus Tig","Oyun Qagan Tig","Oyun Garqag Tig","Oyun Har_a Tig","Oyun Scnin Tig","Oyun Agula Tig","Mongolian Baiti","Noto Sans Mongolian","Mongolian Universal White","Mongol Usug","Mongolian White","MongolianScript","Code2000","Menksoft Qagan"}.mw-parser-output .font-mong-mnc,.mw-parser-output .font-mong:lang(mnc-Mong),.mw-parser-output .font-mong:lang(dta-Mong),.mw-parser-output .font-mong:lang(sjo-Mong){font-family:"Abkai Xanyan","Abkai Xanyan LA","Abkai Xanyan VT","Abkai Xanyan XX","Abkai Xanyan SC","Abkai Buleku","Daicing White","Mongolian Baiti","Noto Sans Mongolian","Mongolian Universal White"}????????, т?гр?г)と呼ばれているが、モンゴル国のトゥグルグとの混同を避けて「yuani」(モンゴル語: юань)が一般的に使われている[2]。 「元」の補助単位は「角」、「分」が使われ、1元=10角=100分である。「角」は、口語では「毛」であり、少ない数量を示す「毫」が「毛」と略されたものである[3]。広東語では今も毫と呼び、香港とマカオでは毫は香港ドル(圓)とマカオ・パタカ(圓)のそれぞれ1/10を表す公式通貨単位となっている。 1994年までは、人民元とは別に、外貨に交換できる兌換元が発行されていた。 現在中国では、QRコード決済や顔認証決済などといったキャッシュレス決済が著しく普及し、屋台のような店舗でもキャッシュレス決済専用となったり、ATMの撤去も進むなど、特に中国人の間では現金自体がほとんど使われていない進んだキャッシュレス社会となっており、子供や若者が現金を知らないと言われるほどの状況となっている。これは後述のように偽札が非常に多く、現金に信用がなかったことが大きな要因となっている。ただし、外国人観光客などには一定の現金の需要があり、キャッシュレス決済では中国の銀行口座や電話番号と紐付けされているアカウントが必要になる場合もあるため、2023年時点では外国からの旅行者は逆に不便な状況となっている[4]。 日本円と同じ\(円記号)が用いられるため、日本の消費者がネット通販などで人民元の価格表示を日本円表示と混同して注文してしまうトラブルが多発しており、中にはサイト自体が日本語表記なのに価格のみ人民元表示になっているケースもあるため、国民生活センターが注意喚起を行っている[5]。 中国共産党は、その支配地域(解放区)では独自通貨を発行していた。その萌芽は第1次国共合作時代に共産党傘下の農民協会が経営する信用合作社が出した流通券や1928年4月に井崗山一帯で出された通貨であると考えられているが、1931年11月に成立した中華ソビエト共和国の制度が中華人民共和国成立以前の基本的な通貨制度であったと考えられている。中華ソビエト共和国以来、共産党解放区は広範なまとまりを有さず、中国国民党の支配が及ばない地域に小さな解放区が点在し広範なまとまりを見せていなかった。そのため、地域ごとに造幣施設と通貨を出す発券銀行(ソビエト銀行/ソビエト政府農工銀行)が存在してそれぞれが独自の通貨を発行していた。中華ソビエト共和国では1元・2角銀貨、5分・1分・500文・200文銅貨、1元・5角・2角・1角・5分紙幣及び銅元票(10銅元)、制銭票(1串・3串)などが通用していた。これは、1935年の長征後の延安(陝甘寧辺区)においても大きな変化はなかった。 その後、日中戦争における抗日闘争を通じて辺区と呼ばれた共産党の解放区が拡大するにつれて、従来の制度の延長上に貨幣制度が編成された。すなわち、新たに辺区単位で発券銀行である辺区銀行が設置され、辺区銀行及び共産党主導で設置された商社・商店のうち特に許可を与えたものが辺幣(辺鈔・抗幣)と呼ばれる紙幣を発行して当該辺区内にて通用させた。1938年3月20日に五台山を中心とする晋察冀辺区で最初に辺幣が発行されて以後、各地の辺区で発行され最盛期には20種類以上の辺幣が発行された。これは、?介石政権及び汪兆銘政権に対する経済面からの攻勢と位置づけられ、事実共産党辺区の拡大とともに流通量が増加していった。 ところが、国共内戦の過程で各地にあった辺区同士が接する事例が増加し、国民政府(?介石政権)の金円券のみならず複数の辺幣が混在するようになった。この事態に対して共産党は辺区銀行の統合による発券銀行の統一及び辺幣に替わる新通貨の発行を図った。これが人民元である[6]。 1948年12月1日、当時共産党の支配下にあった石家荘に中国人民銀行が開業、初代人民元紙幣が発行された[7]。額面は1元から最大5万元まで62種類あった。5万元という大きい額面が必要だったのは、建国前のハイパーインフレーションの影響で高い物価上昇率が続いていたからである[7]。
概要
歴史
前史中華人民共和国による人民元導入前の中国の通貨の歴史については「中国の貨幣制度史」を、中華民国期については「中華民国期の通貨の歴史」を参照
初代人民元の発行とデノミネーション実行