人権擁護法案(じんけんようごほうあん)は、日本の法律案である。2002年(平成14年)、第154回国会で小泉内閣により提出された[1]。
本項目では、2005年(平成17年)、第162回国会(常会)で、民主党が策定して国会に提出した「人権侵害による被害の救済及び予防等に関する法律案」(人権侵害救済法案、人権救済機関設置法案)[2]、その後の2012年(平成24年)9月19日、野田内閣が閣議決定した「人権委員会設置法案」(設置法案)[3] 等についても記す。 人権擁護法案は、人権侵害によって発生する被害を迅速適正に救済し、人権侵害を実効的に予防するため、人権擁護に関する事務を総合的に取り扱う機関の設置を定めた法案である。この点については、人権侵害救済法案、人権救済機関設置法案、人権委員会設置法案も同様である。この人権擁護機関について、人権擁護法案[1]、人権委員会設置法案[3] では合議制の人権委員会とし、国家行政組織法3条2項の規定に基づく行政委員会(いわゆる三条委員会)として法務省の下に設置すると定めた[注釈 1]。 人権委員会及び法務局・地方法務局は、人権相談を受け付け、人権侵害による被害の申し出があったときには調査を開始する。この調査は、人権委員会の委員、人権委員会事務局の職員、人権委員会から委嘱された人権擁護委員[注釈 2]、法務局・地方法務局の職員が実施する。さらに、人権擁護法案では、過料等の罰則によって実効性を担保した特別調査の手続を定めた(なお、人権委員会設置法案では、この特別調査の手続は定めていない。)。調査の結果、人権侵害行為が認められた場合には、人権委員会は、申出者に対する助言等の援助、申出者と関係者との関係の調整、人権侵害行為者に対する事理の説示・勧告、関係行政機関に対する通告、犯罪に該当する行為の告発、第三者に対する要請等の救済措置を行う(なお、人権委員会設置法案では、勧告の公表は公務員による人権侵害行為の場合に限られている。)。また、人権委員会は、人権侵害行為に係る事件について、当事者から申し出がある場合には、調停委員会・仲裁委員会を設ける。調停委員会・仲裁委員会には、人権委員会が任命する人権調整委員の中から事件ごとに調停委員・仲裁委員を指名し、調停・仲裁を行わせる。 「人権擁護法案」は2002年(平成14年)の第154回国会(常会)に小泉内閣が提出し、その後継続審議を経て、2003年(平成15年)10月の衆議院解散により廃案となった。しかし、廃案後も法務省や自民党、民主党内などで引き続き検討が行われた。2005年(平成17年)の第162回国会(常会)には民主党が「人権侵害による被害の救済及び予防等に関する法律案」(人権侵害救済法案、人権救済機関設置法案)を策定して国会に提出したが、審議未了廃案となった。2012年(平成24年)、野田内閣は人権擁護法案を修正した「人権委員会設置法案」等を閣議決定した。 人権擁護法案は、独立性の高い人権擁護機関である人権委員会によって、広汎な「人権侵害」に対する迅速で実効的な人権救済行政を行うことが期待される一方で、対象とする「人権侵害」の定義が広範・曖昧なために、人権委員会が独走し、行き過ぎた権限行使が行われるのではないかと危惧されている。人権擁護法案が提出された当初、主に報道機関と文筆家らが、人権侵害を理由として幅広く表現規制されると憂慮し、抗議活動が行われた。その後、「人権侵害」の定義が曖昧であることや、人権擁護委員に国籍条項がないこと、調査の実施や勧告の公表によっても過大な不利益が生じうること、調査拒否に対して過料を課す「特別調査」が強制調査に当たりうること、人権委員会の独立性が高すぎることなど、法案の様々な点を問題視する意見も現れた。 人権委員会設置法案では、これらの意見を踏まえて一部の修正がなされたものの、逆差別や報道統制、言論の自由を脅かす危険性があるとの理由から、なお反対意見は根強い(人権擁護法案に対する批判、反対意見を参照)。 1954年(昭和29年)、亀田得治ら9名により人権委員会設置法案が発議されたが成立に至らなかった。1966年3月には国際連合において人種差別撤廃条約が採択された(日本は1995年に加入)。 人権擁護法案は、1996年(平成8年)、当時の総理府に置かれた地域改善対策協議会が、今後の同和対策に関する方策について意見を報告し[4][注釈 3]、これを受けて第1次橋本内閣が定めた閣議決定[5] の中に、その端緒が見られる。この閣議決定は、今後の方策として、「人権教育のための国連10年」[注釈 4] に係る施策の推進体制整備を挙げ、所要の行財政的措置を講ずることとした。 翌1997年(平成9年)5月、具体的な方策について審議するため、当時の松浦功・法務大臣が、法務省の人権擁護推進審議会[6] に対して、「人権が侵害された場合における被害者の救済に関する施策の充実に関する基本的事項」を内容とする諮問を行った。同審議会は、審議の結果を「人権尊重の理念に関する国民相互の理解を深めるための教育及び啓発に関する施策の総合的な推進に関する基本的事項について
概要
人権委員会設置法案
人権擁護法案の策定
なお、この間の1999年、日本は拷問禁止条約に加入したが、付属の選択議定書(独立した国際的ないし国内機関の刑事施設視察を認めるもの)については未署名、未批准である。 法務省は、これらの答申に基づき、国内人権機構の地位に関する原則(パリ原則)
人権擁護法案の国会審議
法案では、報道機関による人権侵害についても、出頭要求・立入検査などの特別調査を定める特別救済手続の対象としており、また、人権委員会を法務省の外局としていたことなどもあって、報道の自由、取材の自由、人権委員会の独立性などに疑義があるとして、報道機関・野党などが広く法案に反対した[注釈 6]。このため、法案は、第154回国会(常会)、第155回国会(臨時会)、第156回国会(常会)と3会期連続で審議されたが成立せず、2003年(平成15年)10月の衆議院解散により廃案となった。 廃案後も、政府・与党では引き続き法案の検討が行われ、報道機関を特別救済の対象としないことなどの修正を加えた上で、再提出が試みられた。2005年(平成17年)2月には、政府・与党が前回の法案に一部修正を加えた上で、同年の第162回国会(常会)に再提出する方針を一旦固めた。しかし、法案について議論・検討した自民党法務部会での議事進行が、法案推進派の古賀誠・元自民党幹事長らによって強引に行われたとして、法案慎重派の平沼赳夫(法案に反対する真の人権擁護を考える懇談会会長)、亀井郁夫、城内実、衛藤晟一らから反対意見が噴出した結果、党執行部は同年7月に法案提出を断念した。産経新聞、日本文化チャンネル桜などのメディアや、西村幸祐、櫻井よしこ、西尾幹二などの文筆家、インターネット上のブログや掲示板でも、この動きに同調して、反対運動が活発化した。このときには、「人権侵害」の定義が曖昧であること、人権擁護委員に国籍要件がないこと、人権擁護委員の推薦候補者として「その他人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体の構成員」を挙げたことなどを主な反対理由としていた[注釈 7]。 2005年3月には「救う会」が「北朝鮮による日本人拉致問題の解決の妨げになる」として法案成立に反対する声明を出し[9]、日本文化チャンネル桜などのメディアや西村幸祐、櫻井よしこ、西尾幹二ら識者、民主党の保守系議員にもこれに同調する意見が出るようになった。
人権擁護法案廃案後の議論