人工ダイヤモンド
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高圧高温法により合成し、様々な色を呈したダイヤモンド。

合成ダイヤモンド(ごうせいダイヤモンド、: synthetic diamond)または人工ダイヤモンド(じんこうダイヤモンド、: artificial diamond)は、地球内部で生成される天然ダイヤモンドに対して、科学技術により人工的に作製したものである。主に高温高圧合成(HPHT)法や化学気相蒸着(CVD)法により合成される。研究所製造ダイヤモンド(: lab-grown diamond)という呼び名もある[1]

1879年から1928年にかけて、合成が試みられたが、全て失敗している。1940年代には、アメリカ合衆国スウェーデン、そしてソビエト連邦がCVD法とHPHT法を用いた合成を体系的に研究し始め、1953年頃に最初の再現可能な合成方法を発表した。現在はこの2つの方法で主に合成されている。CVD法、HPHT法以外では、1990年代後半に炭素元素を含む爆薬を使用し、爆轟(デトネーション)によるナノダイヤモンド合成法が開発された。さらに高出力の超音波を用いてグラファイトを処理するキャビテーション法もあるが、未だ商業的には利用されていない。

特性は合成方法により異なり、硬さ電気伝導性電子移動度が天然のものよりも優れる特性を有する。このため研磨材切削工具ヒートシンク(放熱板)などに広く使われる。また、発電所の高電圧開閉器、高周波電界効果トランジスタ発光ダイオードとしての利用が進められている。

HPHT法やCVD法で合成されたものは宝石としても利用される。天然ダイヤモンドの取引会社にとっては、重大な関心事であり、天然のものと区別するために、分光装置を開発するなど様々な対策が施されている。
歴史
合成の試み電気アーク炉を用いての合成を試みるモアッサン。

1797年にダイヤモンドは炭素のみで構成されていることが発見されると、科学者らは安価な炭素材料を用いての合成を試みた。1879年にジェームス・バランタイン・ハネイ(英語版)が初めて合成の成功を主張し[2]1893年アンリ・モアッサンも続いて合成したと主張した。彼らの方法は、炭素を含む製のるつぼ木炭を3,500まで加熱し合成させる方法であった。ハネイは炎熱管を用いたが、モアッサンは新しく改良したアーク炉を使用した[3]。溶融した鉄はに浸すと急激に冷やされ、恐らくその鉄が凝固した際に発生した体積の収縮が、グラファイト(黒鉛)の変化に十分な高圧力を発生させたのではないかと考えられた。モアッサンは1890年代に研究論文を発表している[4]が、当時の実験を再現しても温度や圧力が足らず、モアッサンが行った実験と同等の結果は得られないとされており、同じ作業を延々と繰り返され根が尽きた助手が実験の切り上げを決断するように天然のものの粒を混ぜたのではないか、という説が存在する[5]

多くの科学者がモアッサンの実験を再現しようと試みた。ウィリアム・クルックス卿が1909年に成功し[6]、またオットー・ルフが1917年に合成したものが直径7mmまでに成長したと報告したが[7]、後にそれを撤回している[8]。マクファーソン大学(英語版)のウィラード・ハーシー博士はモアッサンとルフの実験を再現し合成させた[9][10]。その試料はアメリカ・カンザス州のマクファーソン博物館(英語版)に展示している[11]。しかし他の実験者は、3人の実験方法を試しても合成することが出来なかった[12][13]

最も信頼のおける再現実験は、蒸気タービンを発明したことで知られる技術者チャールズ・アルジャーノン・パーソンズ卿によって行われた。彼は40年の歳月と財産の大部分を費やし、ハネイとモアッサンの実験の追試のみならず、彼独自の手法にも挑み続けた[14]。パーソンズ卿は綿密な研究手法と方法論的な記録の管理で知られており、彼が作成した全ての試料は、さらなる分析のために保存されていた[15]。彼は多数の論文を書いており、その一部は高温高圧合成法を用いて小さなダイヤモンドの合成に成功したと主張するものであった[16]。しかし1928年には、モアッサンやパーソンらの成果を含め、ダイヤモンドの合成はいまだ達成されていないとした C.H.デッシュ博士の論文の出版を認めている[17]。デッシュは、その時点までに報告されていた合成ダイヤモンドの多くはおそらく合成スピネルであろう、と示唆した[12]
GEダイヤモンド計画1980年代に生産された神戸製鋼製のベルトプレス型高圧装置。

1941年に合成のさらなる改良を目指して、ゼネラル・エレクトリック(GE)社、ノートン社、カーボランダム社の3社合同で研究を始めた。彼らは数秒間の3.5GPaの圧力下で3,000℃まで炭素を加熱させることに成功したが、その後の第二次世界大戦により計画を中断せざるを得なくなった。1951年ニューヨーク州のスケネクタディ研究所で再開し、トレイシー・ホール(英語版)率いる高圧合成ダイヤモンド研究チームが結成された[18]。この研究所のダイヤモンドアンビルセルが、1946年ノーベル物理学賞を受賞したパーシー・ブリッジマンによって設計・改善された。GEは炭化タングステン製アンビルを用いて、カトリナイト(英語版)の容器に入れた試料に圧力をかける方法を使用し、偶然にもその方法で合成されたが再現性は得られなかった[19]。後にそれは結晶核として用いられた天然ダイヤモンドと判明した[20]

1954年12月16日に、ホールはベルトプレス型アンビルを用いて最初の商業的な合成に成功し、1955年2月15日に公表された。このアンビル内では温度2000℃以上、圧力10GPa以上の状態を作り出すことができ[21]、溶融したニッケルコバルト・鉄で溶解したグラファイトを葉ろう石の容器に入れ使用する。融解した金属は"触媒"のような役割を果たし、グラファイトを溶かすだけでなく、ダイヤモンドへ変化させる速度を上げている。彼が合成したものは最大でも直径0.15mmで、それはあまりにもサイズが小さく宝石としては不完全なものであったが、工業用研磨材として利用できた。ホールの同僚たちも合成することに成功し、研究結果を科学専門誌ネイチャーに掲載した[22][23]。ホールは再現・証明可能な合成を行い、また十分な裏付けのある合成過程を創出した人物となった[20][24]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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