.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}
この項目では、2016年4月より「京阪電気鉄道株式会社」を名乗っている会社法人および、旧社から継承した京阪電気鉄道の各事業について説明しています。1949年12月から2016年3月まで「京阪電気鉄道株式会社」を名乗っていた会社法人については「京阪ホールディングス」をご覧ください。
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}京阪ホールディングス > 京阪電気鉄道
京阪電気鉄道株式会社
Keihan Electric Railway Co.,Ltd.[1]
ロゴ(左)と社章(右)
本社(大阪マーチャンダイズ・マートビル)
種類株式会社
略称京阪、京阪電車、京阪電鉄
本社所在地 日本
〒540-6591
大阪府大阪市中央区大手前一丁目7番31号(OMMビル)[1]
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度41分24.8秒 東経135度31分6.5秒 / 北緯34.690222度 東経135.518472度 / 34.690222; 135.518472
京阪電気鉄道株式会社(けいはんでんきてつどう、英: Keihan Electric Railway Co.,Ltd.)は、大阪府北東部から京都府南部、滋賀県大津市にかけて路線網を持つ鉄道会社[4][5]。京阪ホールディングスの子会社である。通称は京阪電鉄または京阪電車で、略称は京阪。日本の大手私鉄の一つである。
本社事務所は大阪府大阪市中央区大手前一丁目7番31号 大阪マーチャンダイズ・マートビル(OMMビル)内、登記上の本店所在地は大阪府枚方市岡東町173番地の1(枚方市駅の所在地の地番表示)である。他に、枚方事務所(枚方市岡本町7番1号 ビオルネ北館4階)・中書島事務所(京都府京都市伏見区桃山町金井戸島10番)・大津事務所(滋賀県大津市錦織2丁目7番16号)があるほか、東京事務所が、東京都中央区築地三丁目5番4号 ホテル京阪築地銀座グランデ内304号室にある。運輸営業開始は1910年(明治43年)4月15日(京阪本線 大阪・天満橋駅 - 京都・五条駅間 46.57 km)[1]。営業キロ程は91.1 km(2021年3月31日現在)[3][4]。
京阪ホールディングスと、その子会社59社及び関連会社7社から構成[3]されている京阪グループの中核企業[注釈 2]である。 スローガンは「こころまち つくろう」である。2008年4月15日までの京阪グループ共通スローガンは「街をつなぐ、心をむすぶ KEIHAN GROUP」であった。新スローガン導入と同時にテレビCMではサウンドロゴも併せて導入した。 テレビCMではこれまで全国的に知名度の高いタレントを起用してきたが、2000年12月からは「京阪のる人、おけいはん。」をキャッチフレーズに各種キャンペーンを展開している(「歴代CM出演者・おけいはん」を参照)。 営業路線の京阪本線沿線に、グループ会社が運営する日本最古の遊園地である「ひらかたパーク(通称:ひらパー)」を持つ。 この会社の設立以来、大阪証券取引所第一部(2013年に現物株市場は東京証券取引所へ統合)に単独で株式を上場していたが、2006年3月22日には東京証券取引所第一部にも上場した。また、同年11月13日に開業100周年を迎える2010年を目処に純粋持株会社へ移行することが発表され、その傘下に置かれる運輸業・不動産業・流通業・レジャーサービス業の各事業会社を統括する形態になると説明していたものの[6]、経済情勢の変化により、設立予定としていた2010年5月に持株会社への移行を見送ることを明らかにしていた[7]。その後、経営の効率化により各事業の収支が改善したことから、2016年4月1日に「京阪ホールディングス株式会社」に社名変更した上で純粋持株会社移行を目指すことが2015年1月29日と4月30日に発表された[8][9][10]。4月30日の発表によると京阪ホールディングス傘下に鉄軌道事業などを継承する京阪電気鉄道株式会社、不動産販売業を継承する京阪電鉄不動産株式会社、その他の京阪グループ各社を置く体制で、2016年4月1日に純粋持株会社体制に移行した。 2011年、JICAの第3回「協力準備調査(PPPインフラ事業)」に対し、社団法人海外鉄道技術協力協会と株式会社野村総合研究所との三者共同で、「ベトナム ハノイ5号線整備事業準備調査」について応募提案[11] して8月末に本契約を締結したり、日本国外の鉄道プロジェクトに対してコンサルティング事業を行う新会社「日本コンサルタンツ」への出資[12] や、中華人民共和国瀋陽市での複合開発プロジェクトに東京建物と参画するなど、事業の日本国外展開を始めている[13]。 スルッとKANSAIでカードに印字される符号はKHである。 社章は1906年12月21日に制定された。大阪市章の澪標を6つ円形に配置して「京」の形を表現し、合わせて「京阪」としたものである[14]。現在はほとんど使用されておらず[注釈 3]、専らグループ共通の京阪グループシンボルマークが用いられる。 京阪グループシンボルマークはイニシャルの「K」を2つの三角形に図案化し、上はオレンジ色で「暖かさ、趣」を思わせる旗を、下はブルーグレー色で「安全安心、やさしさ、心のこもった」グループの基盤を表現し、風になびく旗と基盤が一体となって「人を思い、潤いのある“街と暮らし”を共に創る」というブランドコンセプトを表現している[15]。 現行の京阪グループシンボルマーク及びロゴマークは、2008年4月に制定され、その直後に旧ロゴマークの使用を終了している。 大阪と京都の間には1876年(明治9年)、淀川右岸(西側)に官営鉄道(現・東海道本線〈JR京都線〉)が敷かれたが運賃が27銭と高く、上り12銭・下り10銭の淀川の蒸気船が貨客輸送の主力だった。そこで左岸(東側)の京街道沿いに大阪と京都を結ぶ電気鉄道を建設する計画として、東京の渋沢栄一、岡崎邦輔などの実業家グループの私設鉄道法による「京阪鉄道」と、村野山人や松本重太郎などの京阪神地区の財界人らの軌道条例による「畿内電気鉄道」の建設計画が同時期に立てられた。両派は競願のムダを避けて話し合いの末に一本化し、畿内電気鉄道株式会社として設立。1903年(明治36年)11月9日に改めて畿内電気鉄道として軌道条例による路線特許が申請された。その後、1905年(明治38年)8月30日の発起人会・設立委員会で京都 - 大阪を結ぶ鉄道ということを表す「京阪電気鉄道株式会社」に名称変更すること、運輸だけでなく電力供給事業・同関連事業を兼業することが決められた。1906年(明治39年)8月25日に軌道敷設の特許が下り、同年11月19日に東京商業会議所で創立総会を開催し京阪電気鉄道株式会社が設立された[16]。 建設に当たり用地買収と路線の実測を開始すると、大阪市の行政指導(市営モンロー主義)や淀川沿いの軟弱地盤、用地買収の遅れ、京都での琵琶湖疏水の堤防上への変更などで十数か所にわたりルートの変更を余儀なくされた。1908年(明治41年)9月にようやく全路線の青写真ができ上がり、同年10月より4工区に分割され建設工事が開始された。そして1910年3月に軌道の敷設は完了した。 1910年(明治43年)4月15日に最初の路線として大阪・天満橋駅 - 京都・五条駅(現・清水五条駅)間が開業した。阪神電気鉄道などと同様に軌道特許で開業したため、当初は併用軌道や急曲線が至る所にあり、「京阪電鉄“カーブ”式会社」とも揶揄されたほどであったが、それを克服するため様々な技術開発が行われた。
概要
社章・グループシンボルマーク
社章
京阪グループ
シンボルマーク
歴史京阪天満橋駅(京阪シティモール)