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この項目では、現存する銀行について説明しています。1895年から1923年まで存在した銀行については「富士銀行」をご覧ください。
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株式会社京都銀行
The Bank of Kyoto, Ltd.
本店(京都市下京区)
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社[1]
市場情報東証プライム 8369
京都銀行のデータ
法人番号9130001000028
店舗数172店
(本支店・出張所)
貸出金残高4兆9870億円
預金残高6兆6578億円
特記事項:
(2017年3月31日現在)
『株式会社京都銀行 有価証券報告書 ‐ 第114期』に拠る。
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株式会社京都銀行(きょうとぎんこう、英: The Bank of Kyoto, Ltd.)は、京都府京都市下京区に本店を置く地方銀行である。京都フィナンシャルグループの100%子会社。 企業キャッチフレーズは「飾らない銀行」。2004年から放映されている奇抜なテレビCM「ながーい、おつきあい」シリーズでも知られる。英字表記は『The Bank of Kyoto』であるが、各店鋪やATMでは『The Bank for Kyoto』と記されている。 戦後京都ではベンチャー企業が勃興し、オムロン、任天堂、村田製作所、京セラ、ワコール等の「京都銘柄」と称される地元企業を京銀は主力銀行として支え、それら企業の発展を背景に業容も拡大[3]。またそれら企業の株式を多数保有するため膨大な株式含み益を得ている[4]。 かつては特筆的な業務として、1945年9月、第二次世界大戦の敗戦に伴う引き揚げ港として全国10港が指定されたが、段階的に役目は終了。1950年以降は舞鶴港が唯一の引き揚げ港を担い、1958年9月の最終船である白山丸の寄港で役目を終えた。この間、京銀は地元銀行として全く経験のない引揚者持ち帰りの外貨両替業務を手掛けた[3]。 2007年より、地元プロサッカークラブ京都サンガF.C.のユニフォーム袖スポンサーとなる。翌年からは朝日放送→朝日放送テレビ・朝日放送ラジオの全国高校野球選手権大会中継の提供スポンサーも担う[注釈 1]。なお、通常は出店地域のみで放送されている「ながーい、おつきあい」のCMは、特別番組などのスポンサーとなった際は未出店地域も含め全国に放映される。 京都府および府内大半の市町村の指定金融機関である[注釈 2]。 1923年、(新)安田銀行(現:みずほ銀行)発足時に参画した同名の銀行とは無関係である。 京都府内の市町村と滋賀県・大阪府・奈良県・兵庫県・愛知県・東京都に支店と出張所を持つ。 戦前まで、京都市内における銀行は東京市内(現:東京23区)と同じくほとんどが都市銀行の支店であり、地元の地銀は小規模のものが数行存在していたに過ぎなかった。しかも、そのいずれもが結局大手銀行への併合の道をたどり、京都大内銀行が安田銀行と当時福知山に本店を置いていた丹和銀行に分割譲渡されたのを最後に、戦時中において、京都市内では地元地銀が消滅してしまった。 戦後、地域産業発展のため地元資本による地銀の設立を求める声が起こり、また蜷川虎三京都府知事も中小企業金融の充実に積極的であったこと、加えて日銀京都支店を歴任した一万田尚登総裁も「大都会に本店銀行がないのは日本七不思議の一つである」と地元本店銀行の必要性を説いたことから[5]、丹波・丹後地区における戦時中の統合銀行であった丹和銀行が京都市内に進出した。すでに同行時代において、日本勧業銀行京都支店から京都府の本金庫(指定金融機関)業務を移管されていたこともあり、それに相応しい商号に変更する必要があるとして1951年に京都銀行に行名を改めた[5]。
概要
店舗政策