京都競馬場
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京都競馬場


正面(2006年11月)左は淀駅(京阪電気鉄道)
施設情報
通称・愛称淀競馬場
所在地京都府京都市伏見区葭島渡場島町32番地[注 1]
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度54分25.46秒 東経135度43分29.00秒 / 北緯34.9070722度 東経135.7247222度 / 34.9070722; 135.7247222
開場1925年12月1日
所有者日本中央競馬会
管理・運用者日本中央競馬会
収容能力12万人
コース
周回右回り
馬場芝・ダート
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京都競馬場(きょうとけいばじょう/ 英: Kyoto Racecourse)は、京都府京都市伏見区葭島渡場島町にある競馬場。施行者ならびに管理者は日本中央競馬会である。最寄り駅から淀競馬場(よどけいばじょう)、あるいは単に(よど)と通称される。1925年(大正14年)12月1日に現在の地に開設された。大規模な改修工事のため、2020年令和2年)11月から2023年(令和5年)3月まで競馬開催を休止していたが、2023年(令和5年)4月22日にリニューアルオープンした(後述)。
歴史「京都競馬倶楽部」も参照

1907年明治40年) - 京都市下京区島原競馬場[2](旧京都競馬場[3])新設。

1913年大正2年) - 競馬場焼失。京都府船井郡須知町(現・京丹波町)へ移転。須知競馬場と改称(島原競馬場跡地は中学校や京都瓦斯の工場等が進出。工場があった地は現在京都リサーチパークが建っている)[4]

1923年(大正13年) -(旧)競馬法が公布された事と収益改善の為に、1924年に競馬場が紀伊郡向島村大字葭島新田(現・京都市伏見区)に移転することが決まり同年の競馬開催は中止。1925年春季は阪神競馬倶楽部の鳴尾競馬場を借りて代替開催をしたが、これが競馬法に基づき馬券発売の伴う初の競馬開催となった。

1925年(大正14年) - 12月1日、現在地に移転。同月5日から4日間の競馬開催開始(須知競馬場跡地は京都府立須知高等学校農場等になっている)[5][6]
京都競馬場付近の航空写真(2020年)
南東側を流れる川が宇治川の現河道。宇治川付け替え以前は北側に宇治川の旧河道、南側から西側に巨椋池の排水路が流れていた。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成京都競馬場付近の空中写真(1987年)。
障害コースと3?4コーナーの形状が現在と異なる。1987年撮影の2枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成競馬倶楽部時代後半 (1923年 (大正12年)-1937年 (昭和12年)), 京都競馬場のメインスタンド。中央に見えるポールは信号旗用競馬倶楽部時代後半,京都競馬場の発馬機(バリアー式)。画像は遮断網が上がっている状態。中央の白い箱はスターター台。遮断網が前後にあるのは馬の逆走を防ぐため。

移転当初の(現)京都競馬場は、敷地約10万坪[6]、1周1600メートルの走路と、スタンド(第1、2号館)や勝馬投票券発売所、厩舎が建設された[6]。巨椋池の排水路跡、葭島新田西端部の沼地のような地盤に作られたこともあって、非常に馬場状態が悪かった。このため、馬場に畳床を敷き詰めて改良した逸話がある[7]。しかし、競馬場へのアクセスが良く、1929年昭和4年)の秋6日間の開催では、354万円の勝馬投票券を売り上げ、当時の競馬場で日本一の売上となった[6]

1935年(昭和10年) - 馬場拡張工事の実施。第3コーナーに斜坂走路(通称「淀の坂」)が新設[6]

1936年(昭和11年) - 大スタンド(鉄筋コンクリート製の収容人員25000名)竣工・芝外回りコース新設。

1937年(昭和12年) - 京都競馬倶楽部がスタンドの全面改築のため、コンペを開催。安井武雄建築事務所案が採用[注 2][6]

1938年(昭和13年)

コンクリート造りの新しいスタンド(4万人収容)が完成。敷地が17万坪に拡張[6]

パドックが正円形となる[6]


1943年(昭和18年)

金属類回収令により、大スタンドの屋根を撤去。

この年の開催を以って公認競馬の開催は中止。京都競馬場と東京競馬場は能力検定の場として残されたが、他の競馬場施設は軍需工場などへ転用されることとなった[8]


1944年(昭和19年) - 能力検定競走が開催。

1958年(昭和33年) - 戦時中に解体された大スタンドの屋根の再架設が完了[6]

1965年(昭和40年)

スタンド増築、馬場改造工事の実施[6]

電光式着順表示装置の運用を開始[6]


1966年(昭和41年) - 1月にシンザン引退式を挙行[9]

1970年(昭和45年) - 前年の栗東トレーニングセンター開設に伴い競馬場から厩舎が移転。

1971年(昭和46年)

増設スタンドが完成[6]

ダートコースが新設[6]


1972年(昭和47年) - パドックのオッズ表示板が電光式導入[6]

1979年(昭和54年) - 1980年(昭和55年) - スタンド改築工事を実施(後のグランドスワン完成[6])。この間の開催は他競馬場へ振り替えされた。

1985年(昭和60年) - ターフビジョンが完成[6]

1987年(昭和62年) - ウィナーズサークルの設置[6]

1989年(昭和64年 / 平成元年)

昭和天皇崩御に伴い、1月7日開催予定だった第1回2日目は1月13日に、1月8日開催予定だった第1回3日目は1月20日に変更。


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