京都府立鴨沂高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度1分14.8秒 東経135度46分5秒 / 北緯35.020778度 東経135.76806度 / 35.020778; 135.76806
京都府立鴨沂高等学校(きょうとふりつ おうきこうとうがっこう)は、京都府京都市上京区寺町通荒神口下ル松蔭町に所在する府立高等学校。 1872年(明治5年)、日本初の官立女学校(後の高等女学校)の東京女学校(東京)に次いで、京都の官公立女学校として創立された「新英学校及女紅場」を前身とする伝統校である[1]。 鴨沂の名前の由来は、鴨(おう)は鴨川の鴨、沂(き) は水のほとりという意味があり、「鴨川のほとりにある学校」ということから来ている。
概要
設置学科
全日制普通科
定時制普通科(2019年閉制)
理念
教育方針
自発的・積極的に学習する態度を養い、基礎学力を培い、思考力を養成する。
自治活動に進んで参加し、相互の人格を尊重し、正しい方法で討論して、その結果に基づき、責任をもって行動する習慣を養う。
社会に対する関心を高め、批判的精神(クリティカルシンキング)を養成する。
勤労の誇りと喜びをもち、社会的活動に耐えうる体力を増進する。
芸術的関心を深め、豊かな情操を養う。
人間の尊厳という観点から、基本的人権についての科学的な認識を培う。
沿革
1872年(明治5年)4月 - 「新英学級及女紅場」が開校。日本で2校目の官公立女学校(公立としては日本初)として九条家河原邸に開設された。
新英学級(新英学校)では英語の、女紅場では技芸の授業が行われていた。なお、当時の英学校は男女共学であった。
1874年(明治7年)- 英女学校及女紅場と改称。完全な女子校となる。
1876年(明治9年)5月 - 女学校及女紅場と改称
1877年(明治10年)2月 - 明治天皇、英照皇太后、昭憲皇太后臨御。
1882年(明治15年) - 女紅場の名を廃して京都府女学校と改称。師範科を設置。
1883年(明治16年)3月 - 付属小学校を開設
1884年(明治17年)6月 - 付属幼稚園を開設
1886年(明治19年)4月 - 師範学校令の公布により師範科が京都府尋常師範学校に移管。付属小学校、付属幼稚園も同校に移管。
1887年(明治20年) - 京都府高等女学校と改称。
同窓会組織の京都鴨沂会が発足
1890年(明治23年) - 昭憲皇太后臨御
1899年(明治32年) - 国語漢文専攻科(2年制)設置
1900年(明治33年)8月 - 九条殿河原町邸より現校地に移転及び、茶室と正門の同邸よりの移築
1901年(明治34年) - 家事裁縫専攻科設置
1904年(明治37年)4月 - 京都府立第一高等女学校と改称
同様に京都府立第二高等女学校創立
1909年(明治42年) - 両専攻科、3年制となる。 京都鴨沂会の社団法人化
1910年(明治43年) - 皇太子嘉仁親王臨啓
1921年(大正10年) - 高等科設置
1923年(大正12年) - 京都府立京都第一高等女学校と改称
1927年(昭和2年) - 鴨沂会に高等女学校研究科を設置
1933年(昭和8年)3月 - 本館・体育館及び北運動場の完成
1936年(昭和11年) - 同窓会による鴨沂学園設立
1938年(昭和13年)3月 - 図書館完成
1948年(昭和23年)4月 - 戦後の学制改革により京都府立嵯峨野高等女学校と合併。京都府立洛北高等学校を同居学習として迎え入れて京都府立鴨沂高等学校に改称
1948年(昭和23年)10月 - 高等学校再編成が行われ、洛北高等学校、嵯峨野高等女学校が閉校。高校三原則(小学区制・総合制・男女共学)に基づく新制高校「京都府立鴨沂高等学校」となり、普通科・商業科を置く
1968年(昭和43年)9月 - 新体育館・食堂完成
1985年(昭和60年)4月 - 新教育制度により普通科にI類・II類(人文系・理数系)を置く
1997年(平成9年)4月 - 普通科II類理数系・商業科の生徒募集停止
2005年(平成17年)4月 - 普通科II類人文系の生徒募集を停止し、新たに普通科II類文理系を置く
2009年(平成21年)4月 - 公立高等学校入学者選抜制度が改定、京都市北・東通学圏を京都市北通学圏へ統合し志願可能範囲が拡大
2012年(平成24年)10月 - 校舎の改築方針が決定
2013年(平成25年)8月 - 京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町の京都産業大学附属中学校・高等学校旧校舎に仮移転
2014年(平成26年)4月 - 類型制度と総合選抜を廃止し京都市・乙訓通学圏の全域から受験が可能となる
2016年(平成28年)4月 - 夜間定時制の生徒募集を停止
2018年(平成30年)夏 - 新校舎完成 仮校舎から現校地へ移転
2019年(平成31年)3月 - 夜間定時制を閉制
校歌(スクールソング)
粂川光樹作詞 / 堀口謹治
また、校歌をアレンジした「鴨沂体操」が1956年(昭和31年)に作られ、体育授業やクラブ活動にて使用されている。 ※研修旅行の行先は現在は北海道(過去には東京・沖縄など) <体育系>
年間行事
4月 入学式・新入生歓迎会
5月 遠足(全学年)
6月 研修旅行(2年)
9月 文化祭
9月末 体育祭(当日雨天の場合10月の予備日になる)
3月 卒業式
部活動
水泳部(水球女子・アーティスティックスイミング)