京都市立待賢小学校
Taiken elementary school
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度1分1.55秒 東経135度45分1.11秒 / 北緯35.0170972度 東経135.7503083度 / 35.0170972; 135.7503083
京都市立待賢小学校(きょうとしりつ たいけんしょうがっこう)は、京都市上京区にあった公立小学校。明治2年(1869年)に京都で設立された64の番組小学校の一つとして開校し、平成9年(1997年)に京都市立出水小学校と共に京都市立二条城北小学校に統合され、閉校した。 学校名は、当初学校が設置された猪熊通椹木町上る大黒町付近の椹木町大宮あたりに平安京大内裏(平安宮)の待賢門があったことにちなむ[3][4]。 元待賢小学校地・校舎は、京都市発達障害者支援センター「かがやき」が使用。 待賢小学校の通学区域は、後述の待賢学区に加え、戦後は東隣の滋野校が新制中学校になったことから滋野学区の一部地域も含んでいた。 待賢学区(たいけんがっく)は、京都市の学区(元学区)のひとつ。京都市上京区に位置する。明治初期に成立した地域区分である「番組」に起源を持ち、学区名の由来ともなるかつての待賢小学校の通学区域であり、今でも地域自治の単位となる地域区分である。 明治2年(1869年)の第二次町組改正により成立した上京第17番組に由来し、同年には、区域内に上京第17番組小学校(のち校名を待賢に改称)が創立した。明治5年(1872年)には上京第19区、明治12年(1879年)には区が組となり上京第19組となった[6]。学区制度により明治25年(1892年)には上京第15学区となった[8]。 昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名により改称され、上京第15学区から待賢学区となった[6]。昭和17年(1942年)に京都市における学区制度は廃止されるが[9]、現在も地域の名称、地域自治の単位として用いられている。
概要
沿革
1869年(明治2年) - 上京第十七番組小学校として開校(開校日:10月6日)[2][5][6][7]
1887年(明治20年)7月 - 京都市立待賢尋常小学校に改称[2]
1941年(昭和16年)4月 - 京都市待賢国民学校に改称[2]
1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により京都市立待賢小学校となる[2]。
1997年(平成9年)- 京都市立二条城北小学校に統合され閉校[7]
通学区域
待賢学区
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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