京都市歌
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京都市歌(4代目)

市歌の対象
京都市
作詞藤山於菟路
作曲諸井三郎
採用時期1951年7月5日
言語日本語
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「京都市歌」(きょうとしか)は日本政令指定都市の1市で、京都府府庁所在地である京都市市歌。以下の4曲が存在する。
1898年明治31年)発表。作詞・黒川真頼、作曲・上真行。

1906年(明治39年)発表。作詞・池辺義象、作曲・吉田恒三。

1915年大正4年)発表。作詞・柏木亀三、作曲・田村虎蔵

1951年昭和26年)7月15日制定。作詞・藤山於菟路、作曲・諸井三郎

現在の市歌は4.である。本項では、京都市へ編入された市町村が制定していた各種の市町村歌についても解説する。
目次

1 解説

2 歴代の京都市歌

2.1 初代(1898年)

2.2 2代目(1906年)

2.3 3代目(1915年)


3 京都市へ編入された市町村の歌

3.1 伏見市歌

3.2 明日に向かって


4 参考文献

5 出典・注釈

5.1 出典

5.2 脚注


6 関連項目

7 外部リンク

解説

現在の京都市歌は1950年(昭和25年)の京都国際文化観光都市建設法施行を記念し、歌詞の一般公募を経て制定された[1]。慣例上のもの(1.?3.)を含めた歴代の市歌としては4代目であるが、制定の告示を経た正式な市歌としてはこの市歌が「初代」とされている[2]

京都府に限らず東京府大阪府を含めた三府はいずれも戦前に府歌を制定しなかった経緯があり[注 1]1984年(昭和59年)に「京都府の歌」が制定されるまではこの京都市歌が府歌の代替曲として紹介される場合があった[3]
歴代の京都市歌

現在の京都市歌が制定されるまでに以下の3代の市歌が作られたが、いずれも制定の告示が無く「慣例上の市歌」とされていた[2]。以下の3曲については制定告示のある京都市歌と区別するため、表題から「市歌」を除いて単に「京都」とする文献もみられる[4]
初代(1898年)

黒川真頼が作詞、上真行が作曲をそれぞれ手掛けた初代の京都市歌は京都市小学校長会が選定したもので、1898年(明治31年)1月29日に発表された[5]。現存する最古の市歌とされる1909年(明治42年)制定の横浜市歌より11年早く発表されており「日本最古の市歌」とされるが[5]、8年後には2代目の市歌が発表され短命に終わっている。

初代「京都市歌」は、歌詞・旋律とも著作権の保護期間を満了している(パブリックドメイン)。一、ちとせの昔(むかし) さだめたる 平(たひら)のみやの みやどころちとせの後(のち)も たひらかに かくぞさかゆる 宮(みや)どころ

二、山(やま)もうるはし 宮(みや)どころ 川(かは)もさやけし 宮(みや)どころ花(はな)ももみぢも 山川(やまかは)の きよしうるはし 宮(みや)どころ

三、こころの花(はな)を うるはしき てわざにみする みやこ人(びと)これぞ御国(みくに)の ひかりよと みてこそあふげ よものくに

(原文は旧字体)
2代目(1906年)

池辺義象が作詞、吉田恒三が作曲をそれぞれ手掛けた2代目の京都市歌は『地理歴史唱歌』の一編として1906年(明治39年)に発表されたが[6][7]、9年後に3代目の市歌が発表されたため初代と同様に短期間しか演奏されなかった。
3代目(1915年)

柏木亀三が作詞、田村虎蔵が作曲をそれぞれ手掛けた3代目の京都市歌は1915年(大正4年)に大正天皇御即位大典を記念して発表された。現在の市歌と対比して「戦前の京都市歌」と言う場合は基本的にこの3代目を指し、京都市教育会が編纂した観光案内『京を訪ねて』の1-2ページにもこの市歌の歌詞が掲載されている[8]

『京都市政史』第1巻に「忘れられた市歌」の節があり、詳細な作成経緯と楽譜(表題「京都」)が掲載されている[6]
京都市へ編入された市町村の歌

以下は京都市へ編入された市町村が制定していた市町村歌である。現在は全て廃止されている。
伏見市歌

「伏見市歌」(ふしみしか)は1931年(昭和6年)に京都市へ編入された伏見市の市歌である。作詞・西條八十、作曲・中山晋平

紀伊郡伏見町が1929年(昭和4年)5月1日市制を施行したことを記念して10月23日新民謡「伏見小唄」(作詞・作曲は市歌と同じ)と共に制定されたが、当の伏見市自体が成立から1年11ヶ月と言う、日本の市としては最短の記録で京都市へ編入されたため、この市歌も1年半足らずで廃止された。両曲とも『京伏合併記念伏見市誌』に歌詞と楽譜が掲載されている[9]
明日に向かって

「明日に向かって」(あすにむかって)は2005年平成17年)に京都市へ編入された北桑田郡京北町の町歌である。1995年(平成7年)制定。作曲・山路進一。

町制時代には毎年11月に開催される「京北ふるさとまつり」で演奏されていた。『京北町五十年誌』第3章1節「町のシンボル」で紹介されている[10]
参考文献

中原都男『京都音楽史』(
音楽之友社、1970年) .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Lock-green.svg/9px-Lock-green.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg/9px-Lock-gray-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Lock-red-alt-2.svg/9px-Lock-red-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration{color:#555}.mw-parser-output .cs1-subscription span,.mw-parser-output .cs1-registration span{border-bottom:1px dotted;cursor:help}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Wikisource-logo.svg/12px-Wikisource-logo.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output code.cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:inherit;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-visible-error{font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#33aa33;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration,.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-right{padding-right:0.2em}NCID BN12235685

西崎嘉太郎/日本青少年音楽教育センター 監修『日本うたの地図』(しなの出版、1970年NCID BN12728412

京都府立総合資料館『京都府百年の年表 9 芸能』(1971年NCID BN02306426

林屋辰三郎 編『京都の歴史 京都市編/8 古都の近代』(學藝書林、1975年NCID BN01830756


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