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京都先端科学大学附属中学校・高等学校
敷地内に建立されている沢村栄治像
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度1分30.4秒 東経135度43分22.1秒 / 北緯35.025111度 東経135.722806度 / 35.025111; 135.722806
京都先端科学大学附属中学校・高等学校(きょうとせんたんかがくだいがくふぞくちゅうがっこうこうとうがっこう、英語: Kyoto University of Advanced Science Junior & Senior High School)は、京都府京都市右京区花園寺ノ中町にある共学の私立中学校・高等学校。1925年に設立された。略称はKUAS、京都先端、先端中・先端高。
学校名は、京都先端科学大学(旧:京都学園大学)を運営する学校法人永守学園(旧:学校法人京都学園)と学校法人京都光楠学園との合併に伴い、2021年4月に京都学園中学高等学校から変更された。 校長は佐々井宏平
概観
学園の概要(1881?1948)が京都商業学校を設立。1951年(昭和26年)に辻本一郎(第2代理事長)が学校法人京都学園を設置した。また、かつては商業学校の他、工業学校、自動車学校も存在していたが、学制改革によって再編された。
京都商業高等学校時代の通称は、京商
京都学園中学高等学校時代の通称は、京学、KG、学園 建学の精神は、「世界の舞台に堂々と自分の意志で立ち、行動できる人を育てる」 京都先端科学大学附属中学校高等学校のホームページには、以下のような説明がある。本校の建学の精神は、「世界の舞台に堂々と自分の意志で立ち、行動できる人を育てる」です。創立者の辻本光楠先生は、明治30年(1897年)に15歳で単身アメリカ・サンフランシスコへ渡られました。当時、先生は学校で、 欧米文化を取り入れた日本人が新大陸でアメリカ人と対等に渡り合っているとの話を聞かされていました。そこで自分の目で、日本人が新大陸で活躍をしている姿を見てみたいとお思いになり、ご両親の反対を押し切って渡米なさいました。早速、昼間はサンフランシスコ郊外のブドウ畑で働き、夜は英語学校へ行き勉学に励まれました。ところが現地での日本人の姿は、先生が想像をしていたような勇姿ではありませんでした。ブドウ畑で働く日本人はアメリカ人の前で、言葉が通じず、ただただおどおどとしながら、過酷な労働に何も言えずに働かされていたのです。その様子を見て、先生は大いに失望されたのです。そこで、先生は、次の時代を担う日本の若者に、世界のどの舞台に立っても堂々と自分の意志で行動できる人になってもらいたい、という熱き思いで、大正14年(1925年)に本校を創立され、もうすぐ100周年を迎えます。 京都先端科学大学附属中学校高等学校HPより引用。[1] 高校では、長期留学を行う国際コースや、理科探究型学習や高大連携授業を行う特進ADVANCEDコースなど4コースを、中学では、GNコースのみを設置し、カリキュラムの異なる2クラスを編成している。 国際交流にも力を入れ、ヨーロッパ・北アメリカ・アジア・アフリカの英語圏の幅広い学校と姉妹校提携や教育機関提携を実施しており、中学・高校全コースが海外でのホームステイを実施する。 また文武両道を目指し、柔道部では、全国大会に出場するなどの成績を残している。 「21.3世紀のGlobal Navigatorの育成」をスローガンに掲げ、法人合併に伴い、内部進学制度の導入や、中高大一貫カリキュラムの設計・新たな教育プログラムの開発、英語によるサマーキャンプ等の検討、京都先端科学大学工学部との連携によるSTEAM教育の推進などを目指すとしている[2][3]。 中学校のイメージカラーは緑、高校のイメージカラーは紫。 京都先端科学大学附属中学校・高等学校 校章 1946年(昭和21年)辻本光楠(設立者・初代理事長)が財団法人京都学園を設置。 1951年(昭和26年)辻本一郎(第2代理事長)が学校法人京都学園を設置。 2014年(平成26年)学校法人京都学園(現、学校法人永守学園)から学校法人京都光楠学園が分離独立。 京都学園大学(現:京都先端科学大学)と、京都がくえん幼稚園・京都がくえん保育園(現:京都先端科学大学附属みどりの丘幼稚園・みどりの丘保育園)は学校法人京都学園(現、学校法人永守学園)に、京都学園中学高等学校(現:京都先端科学大学附属中学校高等学校)は学校法人京都光楠学園となる。 2018年(平成30年)第14代理事長に日本電産創業者の永守重信が就任。 2019年(平成31年)学校法人京都学園から学校法人永守学園に法人名変更。 2021年(令和3年)学校法人永守学園が学校法人京都光楠学園と再合併。 歴代理事長法人代氏名 (回目)任期法人代氏名 (回目)任期 京都学園初代辻本 光楠1946年5月?1948年6月 京都学園1951年3月?1970年2月 京都光楠学園初代小川 正雄2014年4月?2017年4月 (学校長と兼任)2017年4月?2021年3月 永守学園 永守学園第14代永守 重信2018年3月?(現職)
建学の精神
校風および特色
学校法人 永守学園
1946年5月?1951年3月財団法人
第2代辻本 一郎 (1)1948年8月?1951年3月
1951年3月?2018年3月学校法人
第3代保科 善四郎1970年2月?1971年10月
第4代辻本 一郎 (2)1971年10月?1973年12月
第5代宇野 勝次1973年12月?1975年12月
第6代辻本 一郎 (3)1975年12月?1985年5月
第7代大槻 嘉男1985年5月?1986年5月
第8代木下 稔1986年5月?1993年9月
代理山田 三郎 (1)1993年9月?1994年1月
第9代辻本 一郎 (4)1995年8月?2001年4月
第10代山田 三郎 (2)2001年4月?2003年3月
第11代辻本 一彦2003年3月?2009年3月
第12代西井 泰彦2009年3月?2012年11月
第13代田辺 親男2012年11月?2018年3月学校法人 京都学園 から分離
2014年4月?2021年3月学校法人
第2代佐々井 宏平
第14代永守 重信2018年3月?(現職)
2019年3月?学校法人
学校法人 永守学園 と合併
2021年4月?学校法人
創設者
辻本光楠 ? 1897年(明治30年)に15歳で単身アメリカ・サンフランシスコへ渡る。次の時代を担う日本の若者に、世界のどの舞台に立っても堂々と自分の意志で行動できる人になってもらいたい、という熱き思いで、1925年(大正14年)に京都商業学校を創立。1881年(明治14年)生まれ、1948年(昭和23年)没。
平成20年度に竣工した“光楠館”にその名が使われている。
沿革
1925年(大正14年) - 京都市吉田に京都商業学校(夜間甲種4年制)設立(創立者:辻本光楠
1928年(昭和3年) - 5年制昼間部設置。現在地に移転
1945年(昭和20年) - 財団法人京都工業学校
1946年(昭和21年) - 京都商業学校復元認可。財団法人京都学園発足
1947年(昭和22年) - 6・3制実施に伴い、京都学園中学校設置
1948年(昭和23年) - 学制改革により京都商業学校を京都商業高等学校に転換、商業科設置
1951年(昭和26年) - 財団法人京都学園を改組し、学校法人京都学園を設立。京都学園中学校廃校
1969年(昭和44年) - 京都商業高等学校に普通科、事務科設置
1980年(昭和55年) - 事務科廃止
1986年(昭和61年) - (当時の)学校法人所在地を高等学校校地から大学校地へ変更
1988年 (昭和63年) - 伝統ある商業科の募集を停止し、現行の普通科のみの募集とこの年からなる
1990年(平成2年) - 京都商業高等学校を京都学園高等学校に校名変更
1992年(平成4年) - 週5日制を実施
1994年(平成6年) - 留学コース設置。セメスター制開始
1999年(平成11年) - 京都学園高等学校亀岡グランド完成
2000年(平成12年) - 京都学園中学校設立。京都学園高等学校の特進コースを特進ADVANCEDコースに名称変更、特進BASICコースを設置
2006年(平成18年) - 制服のデザインを変更する。