京都タワー
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2016年9月30日まで存在した京都タワー株式会社については「京阪ホテルズ&リゾーツ」をご覧ください。

ニデック京都タワー
Nidec Kyoto Tower

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情報
用途展望塔
設計者山田守
構造設計者京都大学工学部建築学教室棚橋諒
施工大林組
建築主京都タワー株式会社
構造形式モノコック構造(応力外被構造)
敷地面積2,783 m²
階数285段
高さ131.0 m
着工1963年昭和38年)
竣工1964年(昭和39年)
所在地600-8216
京都府京都市下京区烏丸通七条下る 東塩小路町 721-1
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度59分55秒 東経135度45分42秒 / 北緯34.99861度 東経135.76167度 / 34.99861; 135.76167 (京都タワー)座標: 北緯34度59分55秒 東経135度45分42秒 / 北緯34.99861度 東経135.76167度 / 34.99861; 135.76167 (京都タワー)[1]
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京都タワー

ニデック京都タワー(ニデックきょうとタワー)は、京都府京都市下京区にあるである。京阪グループ京阪ホテルズ&リゾーツ株式会社が運営している[2]。後述の通り、ニデックがネーミングライツを取得し2024年4月1日から現在の名前で営業している。
概要

京都駅烏丸中央口前に大きく聳え立っている。台座となっている京都タワービルを含めた高さは131メートルあり、京都市内では最も高い建造物である。

1953年昭和28年)、京都駅北側の土地に建っていた京都中央郵便局が移転することが決まり[* 1]、移転後の跡地の活用が検討されていた。またこの土地は国際文化観光都市たる京都の表玄関、京都駅の真正面に当たる物であり、それに相応しくまた公共性に富む土地活用が求められていた[3]京都商工会議所主催の懇談会で株式会社物産観光センター(のちに株式会社京都産業観光センター)の設立が決まり、翌1959年4月11日、創立した[4]

当初は屋上に展望台などを作る程度は検討されていたものの、巨大なタワーを建てる事は想定していなかった[5]。だが検討の結果、建物の内部に影響を与えずにタワーを建築出来る事が判明し、山田守(建築家)の設計管理および京都大学工学部建築学教室棚橋諒教授の構造設計により建造されることとなった[6]。この際、単なる鉄骨による無骨なタワーでは京都の表玄関には相応しくないとして、白い円筒状の優雅なデザインが採用された[7]キッチュなデザインとも評される[8]。建築には日本で初めて、炭酸ガス半自動溶接機が大々的に使用されたという[9]

1963年(昭和38年)2月7日の地鎮祭後、建物は同年8月13日に立柱式、翌1964年(昭和39年)8月31日に開館[* 2][10]。タワーは1964年2月3日に立柱式、12月28日の開業であった[11]

その構造は、鉄骨を一切使わず、厚さ12ミリメートルから22ミリメートルの特殊鋼板シリンダーを溶接で繋ぎ合わせ、円筒型の塔身を作ったもの(モノコック構造[12][13]となっており、タワー外部に仮設タワーとクレーンを設け引き上げを行った[14]。工期は約1年10カ月、総工費は38億6400万円であった[15]

タワーの姿は、市内の町家葺きを波に見立て、海のない京都の街を照らす灯台をイメージしたものである[12]

タワー上部の展望台からは、京都市内および周辺のほか、天気の良い日には大阪市街を望むこともできる[16]

台座のビルにはホテルや名店街が入居する。また、展望台や名店街ではタワーに関するグッズなどの販売も行われている。

開業40周年を機に作成されたマスコットキャラクターが、2004年平成16年)12月たわわちゃんとして正式に誕生した。

2014年(平成26年)の開業50周年に向けたエレベーター改修工事や外壁の塗り直しのため、展望室や台座のビルにあるレストランなどは2012年(平成24年)12月2日から2013年(平成25年)3月まで休業となり、4月1日からリニューアルオープンしている。なお、このリニューアルを機に、レストランは喫茶・軽食も提供するラウンジに営業形態を変更した[17]。なお工事期間中も、ホテルや土産店の営業は続けられていた。

2024年3月、京阪ホールディングスは地元企業でモーター大手のニデックとの間で本タワーの命名権契約を締結したことを発表した。同年4月から2029年3月末までの5年間、本タワーの名称は「ニデック京都タワー」となった[18]
タワー外観と内部

タワー上層部に楕円形の展望台(有料)が設置されており、内部は2層構造となっている。双眼鏡も置いてあり、無料で使用できる[19]

展望室の営業時間は10:30?21:00(最終入場20:30)となっている(2023年1月1日現在)[20]

外観は、タワー部はミルキーホワイト色を基調とし、展望台およびその上部の一部分に赤色が用いられている。また、タワービル部にはグループ会社である京阪電気鉄道(京阪)により、京都駅からJR東福寺駅を経由して祇園・清水方面への利用を促す広告などが設置されている。

外観塗装色については法規制があり、白と赤となっている。これは地上高60メートルを越える建造物に該当するため、高輝度航空障害灯を設けない場合は紅白縞模様(鉄塔や煙突と同じ)とする必要があるためである。
京都タワービル内部
構成

展望室4?5階 - ニデック京都タワー展望室

展望室3階 - スカイラウンジ「空」(KUU)

10階屋上 - BBQ奉行

5?9階 - 京都タワーホテル

2、4?7、9階 - TKPガーデンシティ京都タワーホテル


3階 - レストラン「タワーテラス」、関西インフォメーションツーリストセンター

北新館4階 - ダニエルズ ルーチェ

北新館1?3階 - 創作厨房 さいか亭

地下1?2階 - KYOTO TOWER SANDO

地下3階 - 大浴場?YUU?(閉店)

京都タワーサンド

京都タワービルは、特に地下1階から地上2階までが2017年4月14日から商業施設「KYOTO TOWER SANDO(京都タワーサンド)」と称されてリニューアルオープンした。サンドの名前は、参道にちなんでいる[21]

なお、京都タワーサンドとしてリニューアルされる前は、修学旅行生向け土産店が多く[22]ダイコクドラッグ・100円ショップ(ザ・ダイソー)・手芸店・TAITOゲームセンター[23][24]などがさまざまに入居していた。


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