京都サンガF.C.
[Wikipedia|▼Menu]

京都サンガF.C.
原語表記京都サンガF.C.
呼称京都サンガF.C.
愛称サンガ
クラブカラー    紫
[1]
創設年1922年
所属リーグ日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョンJ1リーグ
昨季リーグ順位13位(2023年)
クラブライセンスJ1
ホームタウン京都府京都市宇治市城陽市向日市長岡京市京田辺市木津川市亀岡市南丹市福知山市舞鶴市綾部市八幡市宮津市京丹後市京丹波町大山崎町久御山町精華町[1]
ホームスタジアムサンガスタジアム by KYOCERA[1]
収容人数21,623[1]
運営法人株式会社京都パープルサンガ[1]
代表者 伊藤雅章[1]
監督 ゙貴裁
公式サイト公式サイト

ホームカラーアウェイカラー

今シーズン
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

株式会社京都パープルサンガ
Kyoto Purple Sanga Co.,Ltd.[2]種類株式会社
本社所在地600-8009
京都市下京区四条通室町東入凾谷鉾町87 ケイアイ興産京都ビル[1]
設立1994年1月13日[2]
業種サービス業
法人番号5130001019476
事業内容プロサッカークラブの運営他
代表者代表取締役会長 山口悟郎
代表取締役副会長 伊藤雅章
代表取締役社長 飯野晃[1]
資本金36億0,500万円[2][3]
売上高32億8898万5000円
(2022年12月期)[4]
営業利益1億9294万6000円
(2022年12月期)[4]
経常利益2億0922万1000円
(2022年12月期)[4]
純利益3047万7000円
(2023年12月期)[3]
総資産13億1337万5000円
(2023年12月期)[3]
決算期12月期
主要株主京セラ[2]
任天堂[2]
関係する人物稲盛和夫(設立者、代表取締役名誉会長)
外部リンクhttps://www.sanga-fc.jp/
特記事項:1994年6月に株式会社京セラパープルサンガから商号変更。
テンプレートを表示

京都サンガF.C.(きょうとサンガエフシー、: Kyoto Sanga F.C.)は、日本京都府京都市宇治市城陽市向日市長岡京市京田辺市木津川市亀岡市南丹市福知山市舞鶴市綾部市八幡市宮津市京丹後市京丹波町大山崎町久御山町精華町をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
概要

1922年に創設された京都紫光クラブが前身となり[1]1993年に一般公募で愛称を募り、教育研究社FC京都パープルサンガ へ改称。1994年に京都パープルサンガへ改称。1996年にJリーグへ加盟した[1]。詳細は「サンガ」を参照

2007年に現クラブ名へ改称[1]。運営会社は株式会社京都パープルサンガ[1]

旧クラブの由来は、京都紫光サッカークラブの英語の『パープル』と、サンスクリット語で「仲間・群れ」を表す『samgha』と[1]、山紫水明の京都をイメージさせる「山河」の響きを掛け合わせた『サンガ』を合わせたもの。

ホームタウンは2010年8月まで京都府京都市のみであったが、2010年8月より宇治市城陽市向日市長岡京市京田辺市の5市[1]、2012年4月より木津川市、2014年4月より亀岡市、2017年9月より南丹市船井郡京丹波町[5]、2019年9月より福知山市舞鶴市綾部市[6]、2020年3月より八幡市[7]、2022年4月より宮津市[8]、2023年2月より乙訓郡大山崎町久世郡久御山町[9]、2023年5月より京丹後市[10]、2024年2月より相楽郡精華町[11] がホームタウンに加わった。なお、宇治市などへ広域化された際に、クラブ側は「よりホームタウンを活性化させるには試合の本拠地である京都市やクラブハウスのある城陽市を含め京都府南部の市町村の連携が不可欠」としている[12]

ホームスタジアムは亀岡市サンガスタジアム by KYOCERA。練習場は京都サンガF.C.東城陽グラウンド[1](通称:サンガタウン城陽)(詳細は#スタジアム・練習場を参照)。クラブマスコットは1995年に誕生した「パーサくん」と2003年に誕生した女の子のお友達「コトノちゃん」で、いずれも「鳳凰」と「不死鳥」をモチーフとしている[1][2]
歴史
前史詳細は「京都紫光サッカークラブ」を参照

1922年創設の京都紫光クラブ(設立時の名称は紫郊クラブ)が前身となり[1]、Jリーグ加盟クラブの前身チームの中で最も古い。1993年に「教育研究社FC京都パープルサンガ」が発足[1]。1994年1月、運営会社となる「株式会社京セラパープルサンガ」が設立された(6月に「株式会社京都パープルサンガ」へ商号変更)[1]

1994年8月[注釈 1]Jリーグ準会員に承認[2]。1995年にジャパンフットボールリーグ(JFL)で2位の成績を収めて、1996年からJリーグ加盟が決定した[1]
1996年 - 1999年(Jリーグ)
1996年

1996年のJリーグ開幕17連敗のスコア節会場スコア相手節会場スコア相手
1等々力0-1●V川崎10西京極0-3●福岡
2西京極0-2●市原11日立柏0-2●
3カシマ1-5●鹿島12三ツ沢球0-1●横浜M
4西京極0-2●C大阪13西京極1-2v●磐田
5三ツ沢球0-3●横浜F14国立0-1v●浦和
6西京極1-5●清水15鳥取2-3●名古屋
7広島ビ0-3●広島16西京極0-3●横浜M
8万博2-4●G大阪17磐田1-2●磐田
9西京極0-2●平塚18西京極1-0○浦和

大野俊三松橋力蔵といったJリーグ経験者を補強。開幕戦はV川崎に敗北。その後、シーズン開幕後17連敗を喫して、オスカー・ベルナルディがシーズン途中で監督を解任された。5月にV川崎からラモス瑠偉藤吉信次、ガンバ大阪から山口敏弘を獲得し、後半戦は8勝7敗と勝ち越した。
1997年

ペドロ・ローシャを監督に迎えたが、カポネクレーベルの両外国人選手が振るわず、更にラモスがシーズン途中にV川崎に移籍した。年間成績は17チーム中14位。なお、この年に西田吉洋日本代表候補に選ばれた。
1998年

元日本代表監督のハンス・オフトが監督に就任。

元日本代表の森保一岩本輝雄山田隆裕黒崎久志を獲得したが、下位に低迷。オフトは6月に監督を退任し、清水秀彦が後任となり、2ndステージは勝ち越し。なお、横浜Fと横浜Mの合併によりJ1参入決定戦への出場は免れた。
1999年

清水体制2年目。

1stステージが14位。6月に清水が退任して、7月に元日本代表監督の加茂周が監督に就任。また、同じ7月に元日本代表の三浦知良を獲得。2ndステージは9位。年間成績は12位となった。
2000年(J1)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:271 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef