京葉車両センター
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京葉車両センター
京葉車両センター全景
右側のグラウンドは
JR東日本硬式野球部新習志野野球場
基本情報
所在地千葉県千葉市美浜区浜田2丁目
習志野市芝園1丁目
鉄道事業者東日本旅客鉄道
帰属組織千葉支社
所属略号千ケヨ
管轄路線JR東日本京葉線武蔵野線
管轄車両京葉線:E233系電車・209系電車
武蔵野線:E231系電車・209系電車
旧称津田沼電車区新習志野派出
→習志野電車区新習志野派出
→(京葉準備電車区)
→京葉電車区
開設1986年昭和61年)3月3日
車両基地概要
敷地面積172,213 m2
留置線本数西群線13本
東群線6本
検査線本数2本
洗浄線本数3本
その他設備通路線1本
引上線2本
転削線1本
組替線2本
修繕線1本
車輪転削機1機
車体洗浄機1機
配置両数
電車610両
合計610両
備考

車両数は2021年令和3年)4月1日現在[1][2]鉄道建設・運輸施設整備支援機構より賃借中であり、敷地面積は有価証券報告書の値[3]
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京葉車両センター(けいようしゃりょうセンター)は、千葉県千葉市美浜区浜田と習志野市芝園に跨る東日本旅客鉄道(JR東日本)千葉支社の管轄の車両基地である。
概要

当センターは、京葉線武蔵野線の運用車両を一手に受け持ち、東京メガループを形成する両線の拠点となる車両基地で、日本鉄道建設公団により大都市交通線(D線)である京葉線の施設として建設されたため、JR東日本は公団の業務を継承した鉄道建設・運輸施設整備支援機構から施設を賃借している[3]

国鉄時代末期の1986年(昭和61年)3月3日の京葉線西船橋千葉港(現・千葉みなと)間の旅客営業開始時に、車両基地として発足した津田沼電車区新習志野派出が前身で、その後、習志野電車区新習志野派出(同年9月1日)→京葉準備電車区(1989年(平成元年)10月1日)と経て、1990年(平成2年)3月1日に京葉電車区が発足し、2004年(平成16年)4月1日に、現名称の京葉車両センターになった[4]

敷地は、京葉線の新習志野 - 海浜幕張間にあり、本線の新習志野方面からのみ入線可能で、新習志野駅の内側2線がセンターへの入出区線に繋がっている[5]。ここでは、グループ会社を含めた全従業員によって車両の検修や車体洗浄などが行われている[4]
業務と設備

当センターでは、在籍する車両の交番検査・機能保全検査、仕業検査、修繕、車体洗浄などを行う。交番検査・機能保全検査は、1日1 - 2編成を実施している[6]

入出区線は複線であるが単線並列の形式で、2本の線路は、入出区1番線・2番線として扱われ、両線からの入出区が可能である。入出区1番線には、センター出入口の両渡り線の手前にパンタグラフ擦り板測定装置が設置されており、通過速度は15km/h以下に制限されている[6]

線路配置は、入出区線に近い新習志野側の西群線と、海浜幕張側の東群線に分かれており、西群線は留置線が主体、東線群は検修線群、整備線群、留置線群主体の線群直列形の配線である[5]

西群線は南側(本線)より転削線、西1 - 14番線と並んでおり、西1 - 10番線は2編成留置が可能である。西1番線の隣には、東群線へ抜ける引上線があり、西群線と東群線の境には、Y線状の2つのシーサスクロッシングが直列に並んでいる。センター出入口の両渡り線の先から通路線が通っており、引上線への片渡り分岐の先に転削線があり、車両転削庫へと繋がっている[6][7]。また、西14番線は東群線の引き上げ線であり、西群線が満線状態でも、東群線の車両の入換がスムーズにできるように配線されている[8]

東群線は南側(本線)より東1 - 6番線、仕洗7 - 9番線、組換1・2番線、事業用線、交検1・2番線、修繕線と並んでおり、東1 - 6番線では車両留置が、仕洗7 - 9番線では車体洗浄と共にパンタ点検台が設置されているので仕業検査が、交検1・2番線では交番検査や機能保全が行われている[8]

修繕線には修繕庫が併設されており、仕業検査や不具合が発生した車両の検査修繕が行われ、庫内にはリフティングジャッキが備えられ、冷房装置の載せ替えや台車の交換、前面・側面ガラスの交換を行うことが可能である[6]
配置車両の車体に記される略号

「千ケヨ」…千葉支社を意味する「千」と、京葉を意味する「ケヨ」から構成される。 京葉車両センター 所属略号
歴史・沿革

当センターのこれまでの歴史・沿革を、下記に「前身時代」、「京葉電車区時代」、「現名称後」の3項目に分けて示す。
前身時代

当センターは、国鉄時代京葉線が貨物線として建設計画していた当時の鷺沼貨物駅建設予定地[9]を車両基地に転用、1986年(昭和61年)3月3日に津田沼電車区新習志野派出[注 1]として発足[10]。発足直後は小規模だったが、全線開業時には配置500両に対応できるように計画され、それに伴う施設増設ための用地は確保していた[11]。車両は、分割・併合を可能にした103系(10(4+6)両編成、以下:10両分併編成)70両を配置[10](編成の詳細は後述)、所属基地は津田沼電車区(→習志野電車区、現・習志野運輸区)で、車両は同所に常駐[注 2]、検査時は蘇我経由で所属区所に回送した[12]。車両運用は、朝夕の通勤・帰宅時間帯は10両編成、日中・深夜は基本編成の6両編成で運転、その前後の時間で新習志野駅にて付属編成を分割・併合[注 3]、検査時の回送電車はデータイムに1往復を設定[13]。同年9月1日の組織変更で、津田沼電車区が習志野電車区(検修)、津田沼運転区(運転)へ改編[14]、検修部門は習志野電車区新習志野派出、運転部門は津田沼運転区新習志野派出所[注 4]と改称。また、日中の利用状況が芳しくないため、基本編成と付属編成の両数を変更、日中・深夜の運用は4両編成となった[10]

1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化で、JR東日本に継承、千葉支社の管轄となる。1988年(昭和63年)12月1日に新木場・蘇我まで延伸開業と車両基地施設増設に伴い、浦和電車区(現・さいたま車両センター)から30両転入、配置車両103系10両分併編成×10本に増強[15](編成の詳細は後述)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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