この項目では、大韓民国の行政区について説明しています。その他の京畿道については「京畿」をご覧ください。
京畿道略称: ??、キョンギ
京畿道の旗
京畿道の紋章
位置
地図
各種表記
ハングル:???
漢字:京畿道
日本語読み仮名:けいきどう
片仮名転写:キョンギ=ド
ローマ字転写 (RR):Gyeonggi-do
統計(2023年)
面積:10,185.6 km2
総人口:13,630,821[1] 人
男子人口:6,855,895 人
女子人口:6,774,926 人
人口密度:1,338.2 人/km2
世帯数:5,978,724 世帯
行政
国: 大韓民国
下位行政区画:28市3郡
ISO 3166-2:KR-41
京畿道の木:イチョウ
京畿道の花:チョウセンレンギョウ
京畿道の鳥:ハト
知事:金東?
自治体公式サイト:京畿道
京畿道(キョンギト、けいきどう、朝: ???)は、大韓民国北西部、朝鮮半島中西部に位置する道である。
朝鮮八道における「京畿道」からソウル特別市と仁川広域市、および朝鮮民主主義人民共和国の統治範囲を除いた地域。道庁所在地は水原市。
人口はソウル特別市より多く、韓国で最も人口の多い広域自治体である。首都ソウル(京城)と港町仁川をつなぐことで栄えてきた地域である[2]。 京畿道は紀元前18年、三国時代から政治的に大変重要な場所だった。三国の一つであった百済の始祖温祚王が河南の慰礼城を首都に定めて以来、5世紀半ば漢江流域は高句麗に併合されたが、553年(真興王14年)新羅の領土となった。その後、三国を統一した統一新羅の全国9州のうち、今の京畿地域はハンサンジュ(漢山州)と称されるようになった。 統一新羅の次の王朝である高麗の太祖王建が開城を首都に定めてからは、京畿地域は歴史の中心舞台として浮上した。1018年(高麗顕宗9年)から当地域を正式に「京畿」と呼ぶようになった。そして朝鮮時代には、太祖李成桂が首都を漢陽に定めた後京畿地域を再調整し、太宗・世宗時代からは広州・水原・驪州・安城を含む東南地域が京畿に移属されるなど、現在の京畿道とほぼ同じ行政区域となった。1895年からは従来の行政区域が改編され新しく二十三府制が実施されることになり、京畿道は漢城府、仁川府、忠州府、公州府、開城府領域に属するようになった。 日本統治時代には1910年10月1日、従来の漢城府が京畿道に編入され京城府に改称されることになり、道庁が設置された。終戦と同時に大韓民国政府が発足し、1946年京畿道から首都ソウル特別市が分離され、京畿道の一部地域がソウル特別市に編入された。1967年には京畿道の道庁所在地がソウル特別市から水原市へと移された。1981年京畿道から仁川市が分離され、1989年と1995年金浦郡の一部、甕津郡、江華郡などの京畿地域が仁川広域市に編入された。 京畿道は、朝鮮半島の中央西側の東経126度と127度、北緯36度と38度の間に位置しており、面積は国土全体の10.2%の10.114km2である。北は86kmの休戦ラインを挟んで黄海北道、黄海南道、江原道、西は黄海(413km)に面しており、東には江原特別自治道、南には忠清北道、忠清南道と隣接している。その中央には韓国の首都・ソウル特別市が位置している。道庁所在地は水原市であるが、北部地域の行政上の便宜を図るため議政府市にも「北部庁舎」(旧称:第2庁舎)が設置されている。 京畿道の気候は、夏と冬の気温差が激しい大陸性気候であり、はっきりした四季がある。春は暖かく、夏は高温多湿。秋は涼しく、冬は寒くて雪が降る。年平均気温は11 ℃から13 ℃であり、北東部の山岳地帯が低く、南西側の海岸地域が少々高い。1月の平均気温は京畿湾付近が-3 ℃、南漢江流域が-3 ℃から-4 ℃である。北漢江と臨津江流域が-4 ℃から-5 ℃と海岸から内陸に行くほど冷たく気温の差が大きくなる。特に北朝鮮との休戦ラインに近い東豆川市や坡州市、南東部の山岳地帯にある楊平郡などは寒さが厳しい。夏は冬に比べ地域差が少なく、内陸地方は京畿湾付近より高いほうである。一番暑いところは平沢市で、8月の平均気温が26.5 ℃である。 年平均降水量は1,100mm内外と夏は雨の量が多く、冬は乾燥した日が続き降水量が少ない。北東部内陸地方である北漢江流域と臨津江上流は、降水量が1,300mmから1,400mmと海岸地方の900mmより多い。 1月の平均気温:ソウル(-2.5℃) 仁川(-2.4℃) 水原(-3.2℃) 利川(-3.9℃) 楊平(-4.9℃) 江華(-3.9℃) 8月の平均気温:ソウル(25.4℃) 仁川(24.9℃) 水原(25.2℃) 利川(24.8℃) 楊平(24.6℃) 江華(24.4℃) 京畿道は、東から西へ流れる漢江により南北に分かれているのが特徴である。漢江地域の北側は主に山が多く、南側は平野が広がる。京畿道の地形は東高西低に代表されるが、広州山脈 京畿道内の国立公園としては、議政府に位置する北漢山国立公園 京畿道は韓国の近代化および都市化に伴い人口が急激に増加した地域と言える。1960年には274万8765人、1970年には329万6950人、1980年には493万3862人、1992年には661万9629人、2000年には898万2298人、2009年には1154万9091人へと増加した。2009年現在所帯数は428万4475所帯、所帯当たりの人口数は2.7人、人口密度は全国平均492人/km2より高い1134人/km2である。 2014年現在、人口数が最も多い地域が水原市の120万1564人である。その次は、高陽市(100万2152人)、城南市(97万357人)の順となっている。人口が一番少ない地域は漣川郡の4万5578人であり、加平郡(5万6815人)、果川市(6万1123人)の順である。なお、人口密度が最も高い地域は富川市の1万6269.7人/km2である。 京畿道は首都ソウルの背後生産団地として電子、機械、重化学、鉄鋼などの重工業と繊維などの軽工業、農畜水産、林業などの各種産業が発達している。近年、高賃金などの影響で韓国経済における各種製造業の割合が低く、従来の産業構造を現代的に改善するため、京畿道も多角的に取り組んでいる。京畿道は先端IT産業とデザイン、コンベンション、観光などソフト競争力中心のサービス産業の育成と、平沢港を活用した北東アジアの貿易ハブとして成長するため、積極的に投資を行っている。
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