京浜東北線
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京浜東北線

主力車両のE233系1000番台
(2023年9月、品川駅
基本情報
日本
所在地埼玉県東京都神奈川県
種類普通鉄道在来線幹線
区間大宮駅 - 横浜駅
駅数36駅
経由路線東北本線東海道本線
電報略号トホホセ(大宮 - 東京間)
トカホセ(東京 - 横浜間)
路線記号JK
開業1914年12月20日 (1914-12-20)
所有者東日本旅客鉄道(JR東日本)
運営者東日本旅客鉄道(JR東日本)
車両基地さいたま車両センター
大田運輸区
鎌倉車両センター東神奈川派出所
使用車両E233系1000番台 10両
路線諸元
路線距離59.1 km
軌間1,067 mm
線路数複線
電化方式直流1,500 V 架空電車線方式
閉塞方式路線データ参照
保安装置路線データ参照
最高速度90 km/h
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京浜東北線(けいひんとうほくせん)は、埼玉県さいたま市大宮区大宮駅から、東京都千代田区東京駅を経由して神奈川県横浜市西区横浜駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)が運行する運行系統の通称である。駅ナンバリングで使われる路線記号はJK。線路名称上は、東京駅を境に東京駅 - 大宮駅間は東北本線[1]、東京駅 - 横浜駅間は東海道本線に属しているが[2]、両線の列車が走行する線路(列車線)とは別の専用の線路(電車線)を走行する。

運行形態は横浜駅 - 磯子駅 - 大船駅間の根岸線と一体であり、合わせて京浜東北・根岸線と呼ばれる場合や、根岸線も含めて「京浜東北線」と記載される場合もある。以降、必要に応じて根岸線区間も含めた大宮駅 - 大船駅間の状況について記す。なお、本稿の運行列車(本系統は電車のみの運転のため、以下「電車」と表記)は、東京駅で上下が変化するため、区間表記順は大宮駅→東京駅→横浜駅→大船駅の順に表記する(方向などについての詳細は後述)。
概要

東京の都心を南北に縦貫し、北は埼玉県さいたま市、南は神奈川県横浜市鎌倉市まで結ぶ。ラインカラーはスカイブルー(■)で、車両の車体帯の色や駅施設などにおける案内に使用されている。

1914年(大正3年)12月20日東京駅開業と同時に「京浜線」として東海道本線東京駅 - 高島町駅(現存せず)間で開始された電車運転が起源であり、その後北は1932年(昭和7年)に東北本線大宮駅、南は根岸線大船駅まで運行区間が延伸されて1973年(昭和48年)に現在の運行形態となった。2014年には運行100周年を迎えた。

「京浜東北線」の名称は、その運行区間である東京と横浜間を結ぶことに拠る『京浜』と、東北本線の電車線であることに拠る「東北」からなる(名称の経緯は「#歴史」節も参照)が、これは旅客案内上の通称であり、正式な線路名称は、東京駅 - 大宮駅間が東北本線[1]、東京駅 - 横浜駅間が東海道本線[2]である。一般的には運営事業者(JR東日本)はもとより、国土交通省や関係する各鉄道事業者、マスメディアなどが『京浜東北線』の名称を使用するため、この名称が定着している。そのためか、一部の乗換案内では省略されている[注 1]

かつては他の線区と比べて新車投入のタイミングなどでの優先順位は低かった。1957年(昭和32年)から中央線快速で高性能車の投入と電車のカラー化が始まったが、その後は山手線中央総武線が優先的に行われ京浜東北線の順番は後位となった。ようやく1965年(昭和40年)から初めてスカイブルーの新車導入が進められたが、途中で1970年(昭和45年)に開催された日本万国博覧会の輸送用に新車が京阪神緩行線へ回されることが決定。このため1970年に入っても老朽化したブドウ色の旧型車両が走り続け、乗客からの苦情が相次いだ[3]

長い間東京の中心部を南北に縦断し埼玉県域と神奈川県域を結ぶ唯一の鉄道運行系統であったが、2001年湘南新宿ライン運行開始、東京都心の地下鉄線と郊外の鉄道各線との直通運転実施[注 2]2015年上野東京ラインとして開始された東北本線と東海道本線間の中距離電車の相互直通運転[報道 1]、さらには2019年11月末の埼京線川越線相模鉄道の相互直通運転開始等により、京浜東北線の縦貫線としての役割は分散されている。

山手線が並行する田端駅 - 品川駅間は旅客営業規則の定める「東京山手線内」に含まれ、区間外よりも安い運賃体系となっている。
北行と南行

一般的に日本の鉄道では当該路線の起点駅から離れていく列車を「下り」、その逆を「上り」としているが、東北本線と東海道本線の起点となる東京駅を挟んで運転する京浜東北線にはこの定義は当てはまらない。従ってJR内部では大宮駅から大船駅方面への電車を「南行」(なんこう)、大船駅から大宮駅方面への電車を「北行」(ほっこう)と呼んで区別している[4]。なお、「南行」および「北行」は、東京駅を貫通しない電車にも同様に区別されている[4](詳細は後述)。ただし、旅客案内上は原則として「大船方面行」「大宮方面行」などと表現される(他の同様な例はダイヤグラムを参照)。
歴史京浜線電車試運転時の有楽町駅 奥が東京駅側(1914年12月).mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}}1912年頃の初代横浜駅付近。1916年頃の桜木町駅付近。横浜駅移転に伴い、初代横浜駅が桜木町駅に改名。1929年頃の桜木町駅付近。横浜駅移転に伴い、1930年に旧神奈川駅から旧横浜駅(2代目)までの線路を付け替え。

1914年大正3年)


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