京橋
町丁
京橋エドグラン
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}京橋京橋の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分34.39秒 東経139度46分14.58秒 / 北緯35.6762194度 東経139.7707167度 / 35.6762194; 139.7707167
国 日本
都道府県 東京都
特別区 中央区
地域京橋地域
人口(2019年(令和元年)9月1日現在)[1]
? 合計282人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号104-0031[2]
市外局番03[3]
ナンバープレート品川
京橋(きょうばし)は、東京都中央区の町名。隣接する千代田区丸の内・大手町・有楽町、中央区八重洲・日本橋とともに、日本最大のビジネス街を構成している。 旧京橋区に当たる京橋地域内である。「京橋」の地名の由来は、かつて存在した京橋川に架けられていた中央通り(東海道)の橋である。かつては運河が生活に重要な役割を果たしていたため、橋は地域の象徴的な場所だった。東京15区時代に区名となり、今日でも地名として使用されている。現在、橋は存在しない。かつての橋としての京橋は、日本橋と並ぶ名橋であった。東海道にて日本橋を出発して京都方向に向かう場合、最初に渡る橋であったため重要な意味合いをもっていた。街としての京橋は橋の北側に位置する。東京メトロ銀座線の京橋駅を中心とした地域である。 北側で日本橋、西側で八重洲、南側で銀座と隣接する。清水建設、明治ホールディングス、ミツウロコグループホールディングス、ブリヂストン、パイロットコーポレーションなどの大企業の本社が所在しており、当地は八重洲や日本橋とともに東京駅界隈のオフィス街となっている。竹河岸と京橋 歌川広重第一相互館 江戸時代の京橋は、木造で、公儀橋であり、欄干の柱頭部に擬宝珠という飾りがついていた(他に擬宝珠があった橋は、日本橋と新橋のみ)[4]。京橋川の南側には竹を扱う職人が多く住み「竹河岸」が形成されていた。 1874年(明治7年)、金杉橋(現港区)との間にガス灯が設置された[5]。後に、このことを記念したガス灯が南詰に復元されている。 1875年(明治8年)石造りのアーチ橋に架け替えられた。肥後の石工である橋本勘五郎が施工。翌年には、京橋から新橋にかけて銀座レンガ街が完成し、京橋はモダンな銀座の北の入り口という位置づけになった。 1878年(明治11年)東京府京橋区が設置された。京橋が地名として認識され始めた。 1901年(明治34年)馬車鉄道の軌道が複線で併設された大型の橋であったが、交通量の増加が著しいため解体され、幅員18mの鉄橋に架け替えられた。 1921年(大正10年)京橋交差点に第一相互館が完成。京橋地区のランドマークとなる。 1923年(大正12年)関東大震災で銀座レンガ街は壊滅的な被害を受ける。 1947年(昭和22年)京橋区は日本橋区と合併し中央区になる。 1959年(昭和34年)京橋川が埋め立てられ、それに伴い京橋も撤去された。埋め立て箇所に東京高速道路が敷設された。京橋の欄干の親柱のみ記念碑として残されている。その一つは日比谷公園内にある。 1978年(昭和53年)の住居表示実施の際に東に隣接する宝町の町域が加わり、今日の京橋の町域となった。 2019年(令和元年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。 丁目世帯数人口 区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。 丁目番地小学校中学校
概要
歴史東京の京橋と銀座通りの眺め(1890年頃)
世帯数と人口
京橋一丁目61世帯71人
京橋二丁目95世帯135人
京橋三丁目60世帯76人
計216世帯282人
小・中学校の学区
京橋一丁目全域中央区立城東小学校中央区立銀座中学校
京橋二丁目全域
京橋三丁目全域
地域
公的機関
京橋消防署 - 同所在地周辺の管轄に当たる。
企業・店舗
味の素(味の素本社ビル)
オービック本社
兼松エレクトロニクス本社
清水建設(清水建設本社ビル)
住友ファーマ東京本社
大成有楽不動産本社
東邦銀行東京支店
東洋インキSCホールディングス本社
戸田建設本社
巴川製紙所本社
パイロットコーポレーション本社
ブリヂストン本社(東京スクエアガーデン内。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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