京橋駅
3番出入口(2018年8月)
きょうばし
Kyobashi
(明治屋前[要出典])
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京橋駅(きょうばしえき)は、東京都中央区京橋二丁目にある、東京地下鉄(東京メトロ)銀座線の駅である。駅番号はG 10。
@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}「明治屋前」の副名称を持つ[要出典]。 島式ホーム1面2線を有する地下駅である。地下2階のホーム両端に地下1階改札に連絡する階段の他に、ホームの中程に地下1階エレベーター専用改札に連絡するエレベーターが設置されている。 地下2階に売店 (METRO'S) が設けられている。トイレは改札外の地下1階通路中間にあり、多機能トイレも設置されている。 2020年(令和2年)4月1日にAGCから寄贈された、約600枚のダイクロイックミラーを用いた中西信洋制作のパブリックアート「Stripe Drawing ? Flow of time」が、3番出入口付近に設置されている[4]。 (出典:東京メトロ:構内図 2018年(平成30年)11月22日からスイッチ制作の発車メロディ(発車サイン音)を使用している。 曲は1番線が「蜜柑色の夢」、2番線が「雪月花」(いずれも福嶋尚哉作曲)である[6]。 現在の銀座線(都市計画第3号線)と東西線(都市計画第5号線)は隣の日本橋駅で交差しているが、戦前の都市計画第5号線(池袋駅 - 早稲田 - 飯田町 - 一ツ橋 - 東京駅 - 永代橋 - 洲崎に至る14.2 km[7]・大正14年内務省告示第56号)は現行の東西線ルートとは異なり、都道404号(行幸通り)から東京駅地下を横切って都道408号(八重洲通り)に向かう計画であった[7]。 このため、銀座線当駅 - 日本橋駅間には将来第5号線がさらに下を通ることを考慮して、連絡駅(新駅)となる相対式ホームの準備工事と、乗り換え連絡通路などが設けられる構造としていた[8]。しかし、戦後の都市計画第5号線は北側を通る現行ルート(日本橋駅で交差)となり、この計画は実現しなかった。 2022年度の1日平均乗降人員は44,951人であり[メトロ 1]、東京メトロ全130駅中76位。 近年の1日平均乗降・乗車人員推移は下表の通りである。 年度別1日平均乗降・乗車人員[9]年度1日平均
歴史
1932年(昭和7年)12月24日:東京地下鉄道三越前 - 当駅間開業に伴い、終着駅として開業。駅建設費用の一部を明治屋が負担した。
1934年(昭和9年)3月3日:当駅 - 銀座間延伸開業により、途中駅になる。
1935年(昭和10年)3月11日:未明に切符売り場周辺を焼く火災が発生。日本の地下鉄駅で初の火災事例となった[1]。
1941年(昭和16年)9月1日:陸上交通事業調整法により東京地下鉄道が路線を帝都高速度交通営団(営団地下鉄)に譲渡、営団地下鉄の駅となる。
1945年(昭和20年)1月27日:隣の銀座駅とともに空襲被害を受け、駅の一部が崩壊した。
1963年(昭和38年)9月5日:草加次郎事件発生。車内に設置された爆発物によって10人が重軽傷。
2004年(平成16年)4月1日:営団地下鉄の民営化に伴い、東京地下鉄(東京メトロ)に継承される[2]。
2007年(平成19年)3月18日:ICカード「PASMO」の利用が可能となる[3]。
2018年(平成30年)11月22日:発車メロディを導入。
駅構造
のりば
発車メロディ
4番出入口(2018年10月)
7番出入口と明治屋ビル(2017年8月)
銀座方面改札口(2022年11月)
明治屋方面改札口(2018年10月)
ホーム(2022年11月)
ホーム上に残る旧型の駅名標(2020年6月)
銀座線と東西線の乗り換え駅の準備工事
利用状況
乗降人員[10]1日平均
乗車人員[11]出典
1990年(平成02年)31,896[* 1]
1991年(平成03年)28,923[* 2]
1992年(平成04年)28,238[* 3]
1993年(平成05年)27,674[* 4]
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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