京成電鉄の車両検修施設
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京成電鉄の車両検修施設(けいせいでんてつのしゃりょうけんしゅうしせつ)としては、車両管理所(宗吾車両基地)(宗吾検車区・宗吾工場、宗吾参道駅)、高砂検車区(京成高砂駅)、津田沼車庫(京成津田沼駅)がある。

この他に、青砥東中山・京成津田沼・千葉中央京成大和田京成臼井大森台学園前の各駅に引き上げ線がある。また京成船橋駅には保線区がある。目次

1 宗吾車両基地

1.1 概要

1.2 沿革


2 高砂検車区

2.1 沿革


3 津田沼車庫

3.1 概要

3.2 沿革


4 脚注

5 関連項目

宗吾車両基地 宗吾車両基地 宗吾車両基地に常駐する保線車両

宗吾は京成の総合的な車両検査施設として、工場では全般検査・重要部検査や車両の修繕・塗装・内装などの更新を行っている。また、北総鉄道舞浜リゾートラインの車両の検査もここで行っている。検車区では自動洗浄機を使った車体の洗浄や、列車検査・月検査、車両の留置を行っている。留置能力は京成最大の240両。夜間は自社車両の他に都営浅草線5300形5500形1本が留置される。また、旧型車両も展示されている。
概要

敷地面積 : 103947
m2

車輌留置数 : 228輌 + 工場定置12輌

沿革

1966年10月 - 宗吾車庫建設

1978年5月5日 - 京成スカイライナー放火事件が発生

1980年2月 - 宗吾車両基地建設工事着工

1981年4月 - 宗吾車両基地一部竣工

1982年9月 - 全面竣工

1991年5月 - 宗吾車庫増線(8輌×4編成分)

高砂検車区 高砂検車区 高砂検車区に留置する京成3500形

高砂は都心に近い拠点として車両の留置を主体としている。金町線の4両編成車はここを拠点としている。宗吾と同じく列車検査・月検査も実施している。留置能力は約160両で、夜間は自社車両のほか京急の車両1本が留置される。1963年より1968年まで敷地内の一部に東京都交通局高砂検修場が置かれていたが、その境界は防火壁で厳密に分けられていた。この検車区があることで、隣接する京成高砂駅の高架化工事計画が難航し、深刻な開かずの踏切問題が発生している[1]
沿革

1912年11月 - 曲金(現・高砂)に車庫を設置

1918年10月 - 暴風雨により車庫上屋倒壊

1921年7月 - 機械工場を設置

1926年12月 - 津田沼車庫新設に伴い定期検査業務を移行。

津田沼車庫

現在は主に千葉線に運用される通勤車が留置される。留置能力は44両。原則として8両編成は入庫しない。

現行の組織上は高砂検車区に所属。工場が宗吾に移転した直後は宗吾検車区に所属した時期もある。

以前は京成津田沼駅に隣接して第一工場を、新津田沼駅裏(現・イオンモール津田沼)に第二工場を、それぞれ構えていた。このため新京成線の京成津田沼?新津田沼間は京成第二工場の構内側線扱いであった。
概要

敷地面積 : 約6500m2

車輌留置数 : 44輌

沿革

1926年12月 - 津田沼車庫設置

1954年 - 鉄道第二連隊材料廠跡地を大蔵省から借り受け、第二工場を設置

1962年 - 第一工場全面改築

1981年 - 第一工場・第二工場閉鎖。車庫縮小。工場最終出場車はクハ2108。

1987年 - 第二工場構内側線(京成津田沼?新津田沼)を新京成電鉄に移管。

脚注^ 詳細は京成高砂駅の記事を参照されたい。

関連項目

日本の車両基地一覧

京成グループ

くぬぎ山車両基地

印旛車両基地

京成スカイライナー放火事件

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更新日時:2019年12月17日(火)09:26
取得日時:2020/04/01 23:33


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