東洋大学京北中学高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度43分6秒 東経139度44分55秒 / 北緯35.71833度 東経139.74861度 / 35.71833; 139.74861
東洋大学京北中学高等学校(とうようだいがくけいほくちゅうがく・こうとうがっこう)は、東京都文京区白山二丁目(東洋大学白山第2キャンパス跡地)に所在する私立中学校・高等学校。2015年に、名称を「京北中学校・高等学校」から変更した。高等学校では、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間でクラスをわけている。
概要井上円了
東洋大学(哲学館)を開校した井上円了によって1898年に開校した。明治時代には旧制第一高等学校への進学者数が府立一中や府立四中に肉薄し、開成中学や麻布中学などの中堅進学校を上回ることもあった。
戦後の1951年に東洋大学から分離したものの2011年に学校法人東洋大学と再統合し、同学校法人の設置校となった[1]。開校して以来100年以上に渡って男子校であったが、2015年に新校舎に移転すると同時に男女共学となった。
沿革
1898年 - 京北尋常中学校設立許可、京北学園創立。東洋大学を開校した井上円了が校長に就任(1906年まで)。
1899年 - 京北中学校として開校。開校式挙行。
1935年 - 京実文庫・三島文庫開設により図書館設置。
1945年3月10日 - 東京大空襲により校舎焼失。
1947年4月1日 - 学制改革により新制中学校へ移行。東京都の委託を受けて一時京実中学校を設置。
1948年4月1日 - 新制高校へ移行、京北高等学校開校。
1951年 - 東洋大学から分離独立、学校法人京北学園となる。
1984年 - ブレザー式制服に改定。
1986年 - 高校に井上円了賞を設置。
2011年 - 京北学園が学校法人東洋大学に再統合され、同法人の設置校となる。東洋大学赤羽台キャンパス(旧北区立赤羽台中学校)へ仮移転。