京セラ株式会社
KYOCERA Corporation
京セラ本社ビル
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社[1]
市場情報東証プライム 6971
京セラ株式会社(キョウセラ、英: KYOCERA Corporation)は、京都市伏見区に本社を置く電子部品、ファインセラミック部品、半導体部品、情報機器、通信機器、太陽電池、セラミック、宝飾、医療用製品などを製造する大手電子部品・電気機器メーカーである。日経平均株価およびTOPIX Large70の構成銘柄の一つ[4][5]。
ブランドステートメントは「The New Value Frontier」。新たな価値をいつも最先端で創造し続ける、という意味である。
ブランドシンボルは、京セラのイニシャルである「K」がセラミックスの「C」を包み込む意匠である。これは、1982年に社名を変更した際から使用している。それ以前は「京都」の「K」を「セラミック」の「C」が囲む意匠であった[6]。
三水会およびみどり会に加盟、三和グループに属している。 代氏名在任期間備考
沿革
1959年(昭和34年)4月1日 - 稲盛和夫が京都市中京区西ノ京原町で、ファインセラミックスの専門メーカー「京都セラミツク株式会社」として設立。
1971年(昭和46年)10月 - 大阪証券取引所第2部、京都証券取引所に株式を上場。
1972年(昭和47年)
7月 - 京都市山科区に新社屋を建設、本社を移転。
9月 - 東京証券取引所市場第2部に株式を上場。
1974年(昭和49年)2月 - 東京証券取引所および大阪証券取引所市場第1部に指定替え。
1982年(昭和57年)10月1日 - 京セラ株式会社へ商号変更。サイバネット工業を合併。これと同時にCI(シンボルマーク)を刷新。
1983年(昭和58年)10月 - ヤシカを合併。
1984年(昭和59年)6月 - 京セラを中心とする25社で第二電電企画を設立。
1986年(昭和61年)3月 - タイトーに資本参加。
1994年(平成6年)1月 - 京セラを中心とする21社で京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)を設立。
1998年(平成10年)8月 - 京都市伏見区に新本社ビルを建設し、本社を移転。
1999年(平成11年)10月5日 - 会社更生法適用を申請した三田工業の支援を表明。
2004年(平成16年)10月 - カーライルと共にKDDIよりDDIポケットを買収[7]。
2005年(平成17年)
3月10日 - デジカメ事業からの撤退を表明[8]。
4月12日 - 銀塩カメラ事業からの撤退を表明[9]。
9月 - タイトーをスクウェア・エニックスに売却。
2006年(平成18年)3月2日 大阪ドームの命名権を取得し、2006年7月1日から「京セラドーム大阪」に改称。
2008年(平成20年)4月 - 三洋電機の携帯電話事業を継承。
2011年(平成23年)7月 - ユニメルコを買収[10]。
2012年(平成24年)2月 - オプトレックスを買収[11]。
2013年(平成25年)10月 - トッパンNEC サーキットソリューションズを買収[12]。
2015年(平成27年)9月 - 日本インターを買収[13]。
2016年(平成28年)
4月1日 - 子会社の京セラサーキットソリューションズ、京セラケミカル、京セラソーラーコーポレーション(太陽光発電機器の販売事業)を吸収合併。
8月1日 - 子会社の日本インターを吸収合併。
9月26日 - 子会社の京セラオプテックにメレスグリオを吸収合併。
2017年4月1日 - 子会社の京セラメディカル、京セラクリスタルデバイス、京セラコネクタプロダクツを吸収合併。
2018年(平成30年)
1月10日 - リョービの電動工具事業を取得[14]。
10月1日 - 子会社の京セラディスプレイ、京セラオプテックを吸収合併。
2019年(平成31年)4月 - 太陽光発電システムを活用した電力サービス事業を行う、京セラ関電エナジー合同会社を設立。
2021年(令和3年)4月1日 - 子会社の京セラ宇部RFテックを吸収合併。
2022年(令和4年)12月 - 長崎県諫早市に新工場を建設すると発表した[15]。
2023年(令和5年)5月15日 - 2025年(令和7年)3月末を目途にコンシューマー(個人)向けスマートフォン・携帯電話事業からの撤退を表明[16]。
歴代社長
初代宮木男也1959年4月1日[17][18] - 1964年出資をした宮木電機製作所社長
(稲盛は当時、取締役技術部長)
2代青山政次1964年4月[19] - 1966年5月23日稲盛和夫の松風工業時代の上司
(稲盛は当時、専務)
3代稲盛和夫1966年5月23日[20] - 1986年9月30日創業者。