亥の子
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出典検索?: "亥の子" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2016年12月)

亥の子(いのこ)は、旧暦10月の月)の上の(上の、すなわち、最初の)亥の日のこと、あるいは、その日に行われる年中行事である。玄猪、亥の子の祝い、亥の子祭りとも。

主に西日本で見られる。行事の内容としては、亥の子餅を作って食べ万病除去・子孫繁栄を祈る、子供たちが地区の家の前で地面を搗(つ)いて回る、などがある。
起源

歴史的には、古代中国で旧暦10月亥の日亥の刻に穀類を混ぜ込んだを食べる風習から、それが日本の宮中行事に取り入れられたという説[1]や、景行天皇が九州の土蜘蛛族を滅ぼした際に、椿の槌で地面を打ったことに由来するという説もある。

この行事は次第に貴族や武士にも広がり、やがて民間の行事としても定着した。農村では丁度刈入れが終わった時期であり、収穫を祝う意味でも行われる。また、地面を搗くのは、田の神を天(あるいは山)に返すためと伝える地方もある。の多産にあやかるという面もあり、この日に炬燵開きをすると、火災を逃れるともされた。

九州から中国地方を中心として殊に知られる行事である。明治・大正時代には、関東以北で亥の子に関する行事は知られておらず、江戸甲州で亥の子餅がみえるのは江戸時代からである。
行事

行事の実施形態はさまざまで、亥の子餅を食べるが石は搗かない、あるいはその逆の地方もある。
亥の子餅詳細は「亥の子餅」を参照

旧暦10月亥の日亥の刻に食べる。餅は普通のものや茹で小豆をまぶした物などが作られるが、猪肉を表した特別なものが用意されることもある。
亥の子石亥の子石

旧暦10月の亥の日の夕方から翌朝早朝にかけて、地区の子供たち(男子のみの場合もある)が集まり一軒一軒を巡って、歌を歌いながら平たく丸いもしくは球形の石に繋いだ縄を引き、石を上下させて地面を搗く。石の重さも1kg?10kg程度と地方により異なる。地方によって歌の内容は異なるが、亥の子のための歌が使用される。歌詞は縁起をかつぐ内容が多いが例外もある。子供たちが石を搗くとその家では、餅や菓子、小遣いなどを振舞う。振る舞いの無い家では悪態をつく内容の歌を歌われることもある。石のほか鉄砲(藁束を硬く縛ったもの。愛媛県日土町では『わらすぼ』と呼ばれる。同町では作成時、ハスイモの茎を芯として入れ込み、より大きく快い音を出す工夫をしていた子供もいた)を使う地方もある。藁鉄砲を使う事例により、東日本における旧暦10月10日に行われる同様の行事、十日夜(とおかんや)との類似性が指摘できる。

石を搗いた後は各家庭の庭先に石の形に半球の穴がのこり、大きいほど喜ばれた。またその風景が初冬の風物詩であったが、近年はコンクリートなどで舗装している場合がほとんどで、小さな畳を持ち運びその上で搗いたり、空中で搗く動作だけを行ったり、引き合うことでこすったりする地方もある。

なお、昭和40年代に、この時期になると準備や亥の子歌の練習に夢中になり、宿題や勉強がおろそかになることなどから、学校が亥の子行事を禁止し廃れてしまった地域もある。

また、「公民館行事」として保護奨励され未だ興隆している地域(愛媛県宇和島市吉田町など)もある。

愛媛県今治市菊間町では一軒一軒をまわるための小さい石を「いのこさん」。宿で使う石を「ごうりんさん」と呼ぶ。石を搗いた跡を踏むとバチが当たるとされ、跡を踏んだ人の髪の毛を三本抜く地区もある。宿とは最後の家のことで、最近子供が生まれた家が宿になることが多いが少子化で最近子供が生まれていない地区は集会所を使うことがある。
亥の子の歌

岡山県

【岡山県津山市西吉田地区】
亥の子 亥の子 亥の子の夜さ 
祝(いお)うた人は 四方の角(すみ)に 
蔵建て並べて 
福の神 どし込め どし込め 
上山様祝うぞ わい 

 上記は、家人が出てきて祝った場合の歌で、
 下記は、家人が不在等で祝わなかった場合の歌。

亥の子 亥の子 亥の子の夜さ 
祝わん者は 鬼生め蛇生め 
角が生えた子生め 
じじいとばばあ どし込め どし込め
山口県

【山口県周防大島町日良居地区】
これのよう旦那は 団子か餅か 
 ありゃとうこせとうこせ (10歳を越せ(そしたら安心だ)) 
餅はよう餅でも おがそうればさ 
金持ちじゃ
 ありゃとうこせとうこせ

亥の子石,石の周辺に蔓(かずら)の輪を使う.亥の子のことを「ごうれんさま」という.数え唄は愛媛県伊予市・大平武領地区に似る.子供が激減して行事は消滅.
「おがそうればさ」は意味不明.
三重県

【四日市市神前地区】
そーれ、そーれ、そーれ
亥の子の餅はついてもついても折れません
もう1つついたら折れすぎた
おまけにこまけにどっこいしょ

※ 藁鉄砲を使用する。「そーれ?」の部分は主に上級生(その家の家族に参加者がいる場合はその人)が「大亥の子」と呼ばれる巨大な藁鉄砲を1人でつく。掛け声は全員で行う。
奈良県

【高市郡高取町佐田】
亥の子の晩に 餅せん家は 箸の家建てて 馬のくそで壁塗って
ここの嫁はんいつもらう 正月三日の朝もらう
鰯三匹酒五合 さいらのわたで祝おてやれ
おーこまはん 寝ーてんのけ 起きてんのけ
寝てても起きててもどんないわ 新米藁で祝おてやれ
どんぶらこ どんぶらこ もひとつおまけにどんぶらこ
京都府

【京都府丹波地方】
亥の子の牡丹餅祝いましょ
一つや二つじゃ足りません
蔵に千石積むように
お神酒を供えて祝いましょ
ひとつふたつみっつよっついつつむっつななつやっつここのつとー
広島県

【広島県福山市・新市町金名地区】
亥の子の宵(えー)に祝わんものは 鬼産め 蛇産め 角のはえた子産め (せんせんせんよ)
一つ 鵯は 栴檀の実を 祝え (せんせんせんよ)
二つ 鮒子は 水の底 祝え (せんせんせんよ)
三つ 蚯蚓は 土の底 祝え (せんせんせんよ)
四つ 嫁御は 姑の髪 祝え (せんせんせんよ)
五つ 医者殿は 薬箱 祝え (せんせんせんよ)
六つ 娘は 化粧箱 祝え (せんせんせんよ)
七つ 泣き子は 親の乳 祝え (せんせんせんよ)
八つ 山伏は 法螺の貝 祝え (せんせんせんよ)
九つ 紺屋は 藍瓶(やがめ) 祝え (せんせんせんよ)
十で 豆腐屋は 豆腐籠 祝え (せんせんせんよ)
亥の子の宵(えー)に祝うた者は 四方へ蔵建て 繁盛せ 繁盛せ

【 広島県福山市 北吉津・吉津町地区 】
※ 古い記憶の為、若干抜けや誤字があれば修正お願いします ※


亥の子 亥の子

亥の子の宵に

餅搗く衆は 福梅小梅

それもこれも お江弁須様に


 1つ 人より踏ん張って
 2で ニッコリ笑ろうて
 3で 酒を造って
 4つ 世の中良いように
 5つ いつもの如く(五徳)なり
(※ 五徳=「仁・義・礼・智・信」の五徳にかけたともされ
     また「温・良・恭・倹・譲」にも通じるという。)
 6つ 無病息災に
 7つ 何事も無いように
 8つ 屋敷を広めたり
 9つ ここらへ蔵を立て
10で とうとう納まった


繁盛せえ 繁盛せえ  !


【広島県福山市・駅家町近田地区】

亥の子の晩に 祝わん者は 鬼産め 蛇産め 角のはえた子産め

亥の子の晩に 祝うた者は 四方のかどで 蔵たって 繁盛せえ! 繁盛せえ!


【福山市・西部】
亥の子さん 亥の子さん 亥の子さんが来ちゃった

いちで  俵をふんばって
にで   にっこり笑ろーて
さんで  酒をつくって
よっつ  世の中よいように
いつつ  いつでも朗らかに
むっつ  無病息災に
ななつ  なにごと無いように
やっつ  屋敷を広めたり
ここのつ ここらでくらを建て
とおで  とうとうおさまった
 
〇〇家が繁盛するように

繁盛せぇ 繁盛せぇ

【広島県安芸郡 海田地区】
亥の子 亥の子 亥の子餅ついて
祝わんものは 鬼産め 蛇産め
角のはえた子産め
やっさの尻を 
煮え湯で焚いて また湯で焚いて
これのこれの ?さん(亥の子餅をつく家の長男等)に嫁をとって(?さんが女性の場合は婿)
繁盛せえ 繁盛せえ 

【広島県安芸郡 海田町2】
亥の子 亥の子 亥の子餅ついて
祝わんものは 鬼産め 蛇産め
角のはえた子産め
やっさの尻を 
煮え湯で焚いて
繁盛せえ 繁盛せえ 
愛媛県

【愛媛県今治市・菊間町】※地区毎に歌詞とメロディが微妙に変わる。歌で伝えられているため、歌詞が濁っている地区もある。「いのこさん いのこさん」の部分は宿で大きい石を搗く場合は「ごうりんさん ごうりんさん」になる場合がある。「やど」の部分は宿と呼ばれる最後の家で石をつく場合で、家をまわる際には宿の場所を基準にして「おく」「しも」と言い換える。
「いのこさん いのこさん」こいさのいいお
いおうたものは しほうのすまへ
くらたてまわせ えんやらえっとーえっとーや
いちでいこくやきんぎんのとり(よいよい)
にではにほんのにわとりさまよ(よいやさー よいやさー)
さんでさんしゅうそらとぶとりよ(よいよい)
しではしらさぎ ごでごやのさぎ(よいやっさー よいやっさー)
ろくでろうどり ひちひよどりよ(よいよい)
はちではとどり くでくじゃくどり(よいやっさー よいやっさー)
じゅうでじゅうじゅうさえずるひばり(よいよい)
どれもどなたもどのこのほしも
やいをおさめて「やど」のほうへいこや(よいよい)

【愛媛県今治市・菊間町】※地区によってこちらを歌う場合がある。今も歌っている地区や過去に歌っていた地域、歌詞が違う地域がある。

いーちでたわらをふんばって
にーでにっこりわろて
さーんでさかずきさしおうて
よーつよのなかええように
いーつついつものごうとくに
むーつむびょうそくさいに
なーなつなにごとないやうに
やーつやしきをたてひろめ
ここのつらこくらをたてまわせ


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