交響曲第7番_(ブルックナー)
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音楽・音声
(ノヴァーク版)Bruckner: Symphony No. 7 in E Major, WAB 107 - Ed. Nowak
- クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏、Universal Music Group提供のYouTubeアートトラック。
(ハース版)Symphony No. 7 in E Major, WAB 107 (1886 Version, Haas Edition) - ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団の演奏、Naxos Digital Media提供のYouTubeアートトラック。
(1885年版)Symphony No. 7 in E Major, WAB 107 (1885 Version) - クリスティアン・ティーレマン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏、PIAS提供のYouTubeアートトラック。
映像
Bruckner:7. Sinfonie - クリストフ・エッシェンバッハ指揮hr交響楽団による演奏。hr交響楽団公式YouTube。
Bruckner: Symphony No. 7 Celibidache & the Berlin Philharmonic - セルジュ・チェリビダッケ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による演奏(1992年)。DW Classical Music公式YouTube。

アントン・ブルックナーの交響曲第7番ホ長調は、彼の交響曲中、初めて、初演が成功した交響曲として知られている。1884年のこの初演以来、好評を博しており、第4番と並んで彼の交響曲中、最も人気が高い曲の一つである。第4番のような異稿は存在しないが、第2楽章の打楽器のようにハース版とノヴァーク版では差異が生じている箇所がある。.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル クラシック音楽
作曲の経緯

本作は交響曲第6番の完成後すぐ、1881年9月末から第1楽章の作曲が開始された[1]。スコアは第3楽章スケルツォの完成のほうが1882年10月と少し早く、第1楽章のスコアは同年の暮れに完成する。

第2楽章の執筆中は最も敬愛してきたリヒャルト・ワーグナーが危篤で、ブルックナーは「ワーグナーの死を予感しながら」書き進め、1883年2月13日にワーグナーが死去すると、その悲しみの中でコーダを付加し、第184小節以下をワーグナーのための「葬送音楽」と呼んだ[2]。こうして第2楽章のスコアは同年4月21日に完成する。そして、1883年9月5日に全4楽章が完成した。

1884年12月30日アルトゥル・ニキシュ指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によりライプツィヒ歌劇場で初演された[1]。この初演の段階でブルックナーとニキシュは入念な打ち合わせを行い、何度か手紙をやりとりしている。

この曲の初演が大成功したことにより、ブルックナーは生きている間に交響曲作曲家としての本格的な名声を得ることができた[3][1]

その後、指揮者ヘルマン・レヴィの推薦より1885年12月、バイエルン国王ルートヴィヒ2世に献呈された。


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