交響曲第6番_(ブルックナー)
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音楽・音声外部リンク
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Anton Bruckner: Sinfonie Nr. 6 NDR
- ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団による演奏(1996年)。NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団公式YouTube。
Bruckner:6.Sinfonie - クリストフ・エッシェンバッハ指揮hr交響楽団による演奏。hr交響楽団公式YouTube。
Anton Bruckner:Symfoni nr.6 - ロビン・ティチアーティ指揮ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団による演奏。ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団公式Vimeo。
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交響曲第6番イ長調(こうきょうきょくだい6ばん イちょうちょう)WAB.106は、アントン・ブルックナーが作曲した交響曲の一つ。
概要

1879年9月から1881年9月にかけて作曲された[1][2]

当楽曲は、ブルックナーの交響曲の特徴の一つとなっている全休止(ブルックナー休止)がほとんど無く(後半楽章に少しあるのみ)、各楽章ともに連続した流れが意識されているようである。作曲者自身、この曲を「大胆なスタイル」で書いたと主張している[3][4][5][6]

ブルックナー中期の傑作といえるが、力強く構築的な第5番、親しみやすい人気曲の第7番に挟まれたためか、演奏機会は比較的少ない[7]

当楽曲の初演については、先ず1883年2月に第2・3両楽章のみ行われているが、全曲通しの初演は、ブルックナーの死後5年経過した1901年3月に行われている[1]
作曲の経緯

交響曲第6番の作曲は1879年の8?9月頃に開始され、2年後の1881年9月に完了した[2]。この間の1880年、ブルックナーは夏季休暇に鉄道でスイス旅行に出かけ、モンブラン山脈の眺めを楽しんだ。この作曲家ならではの、大自然を愛好する気持ちが交響曲の中でのびのびと表現されている。ベートーヴェン交響曲第6番『田園』とよく似た趣があり、この曲は“ブルックナーの田園交響曲”と呼ばれることもある[8]

しかしリズム動機が全曲を貫くところや「田園交響曲」にない激性や輝かしさは、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」、第7番にも似ており、どちらの特色を出すかは指揮者次第である。
初演

曲を書き終えてから約1年5ヶ月経過した1883年2月11日、ウィーン楽友協会ホールに於いて、ヴィルヘルム・ヤーン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団により、第2・3両楽章のみではあったが、当楽曲が初演された。この初演自体は成功だったものの、ブルックナーの宿敵である音楽評論家エドゥアルト・ハンスリックからは冷遇され[注 1]、その影響からか、以後、この作品は注目されなくなり、改訂の手が加えられることは無くなっていたという[1][3][5]

部分初演から13年後の1896年、作曲者ブルックナーが他界してしまう。その更に3年経った1899年2月26日、部分初演時と同じウィーン楽友協会ホールに於いて、今度は生前のブルックナーと交流を持ち続けていたグスタフ・マーラーがウィーン・フィルを指揮して、初めて当楽曲の全曲が演奏された[2]。ただし、「長すぎるため聴衆の理解が難しい」という理由から、大幅カットとオーケストレーション変更を施した上での”全曲初演”だった[注 2][1][3][7][9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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