交響曲第6番_(チャイコフスキー)
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交響曲第6番
ピョートル・チャイコフスキー
別名『悲愴』
形式交響曲
調拍子ロ短調
テンポ1.Adagio - Allegro non troppo - Andante - Moderato mosso - Andante - Moderato assai - Allegro vivo - Andante come prima - Andante mosso
2.Allegro con grazia
3.Allegro molto vivace
4.Finale. Adagio lamentoso - Andante - Andante non tanto 速度指定なし
制作国 ロシア帝国
作品番号74
プロジェクト:クラシック音楽
Portal:クラシック音楽
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交響曲第6番ロ短調 作品74は、ピョートル・チャイコフスキーが作曲した6番目の番号付き交響曲であり、彼が完成させた最後の交響曲。『悲愴』(ひそう)という副題で知られる。
概要

音楽・音声外部リンク
全曲を試聴する
Tchaikovsky Symphony No.6
- ミハイル・プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団による演奏。ロシア・ナショナル管弦楽団公式YouTube。
Tchaikovsky’s Symphony No.6 - マンフレート・ホーネック指揮ピッツバーグ交響楽団による演奏。ピッツバーグ交響楽団公式Vimeo。
Tschaikowsky:6. Sinfonie (≫Pathetique≪) - リオネル・ブランギエ(Lionel Bringuier)指揮hr交響楽団による演奏。hr交響楽団公式YouTube。
Tchaikovsky - Symphony no.6 'Pathetique' - アンドルー・リットン指揮オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団による演奏。NPO Radio 4公式YouTube。
交響曲第6番「悲愴」の下書き(スケッチ)

チャイコフスキー最後の大作であり、その独創的な終楽章をはじめ、彼が切り開いた独自の境地が示され、19世紀後半の代表的交響曲のひとつとして高く評価されている。

副題については、弟モデストが1893年の初演の翌日に自身が「悲劇的」という表題を提案したが、作曲者はこれを否定し、次に弟が口にした「悲愴」という言葉に同意したと伝えているが、これはモデストの創作で事実ではない。実際は自筆譜、楽譜の出版をしていたピョートル・ユルゲンソンがチャイコフスキーに送った手紙で「《第6悲愴交響曲》よりも《交響曲第6番 悲愴》とするべきだと思います」と書いているなど、少なくとも曲が完成した9月には作曲者自身がこの題名を命名していたことが分かっている。また初演のプログラムに副題は掲載されていないが、チャイコフスキーがユルゲンソンに初演の2日後に送った手紙で「Simphonie Pathetique」という副題をつけて出版することを指示している[1]

10月18日付のその手紙の内容とは「この交響曲のタイトルページに次のように書いてください。「ウラディミール・リヴォヴィチ・ダヴィドフに。悲愴交響曲(第6番)作品番号??? P.チャコフスキー作曲」間に合えばいいのですが! この交響曲で妙なできごとがありまして、問題というほどではないですがちょっと戸惑っています。私自身はこれまでのどの作品よりもこれを誇りに思っていますし、土曜日にモスクワに行きますので相談しましょう。お元気で。P.チャイコフスキー」(原文ロシア語)である[2]

モデストはこの曲のテーマとしていくつかの証言を残しているが、作曲者自身は「人生について」としか語っていない。リムスキー=コルサコフの回想によれば、初演の際、演奏会の休憩中にチャイコフスキーにその点を確かめてみた時には「今は言えないな」と答えたと言う。

チャイコフスキー自身は世評を気にしがちなタイプだったが、ことこの曲については最終楽章にゆっくりとした楽章を置くなどの独創性を自ら讃え、初演後は周りの人々に「この曲は、私の全ての作品の中で最高の出来栄えだ」と語るほどの自信作だった。

コンスタンティン・コンスタティノヴィチ・ロマノフ大公爵に宛てた手紙(1893年9月21日付)では「私はこの交響曲に魂のすべてを注ぎこみました……。(中略)形式としては独創性を示しており、フィナーレは普通よくあるアレグロではなく、アダージョのテンポで書いています。」[3][4]

チャイコフスキーの又甥のゲオルギイ・カルツォーフの妻で歌手であり、作品47が献呈されているアレクサンドラ・V・パナーエワ=カルツォーワの回想録「P・I・チャイコフスキイの思い出」には、チャイコフスキーが本作の初演後、従姉妹のアンナ・ペトローヴナ・メルクリングを家まで送る道中、アンナ・ペトローヴナに対して「新作の交響曲が何を表現しているか分かったか」と尋ね、彼女が「あなたは自分の人生を描いたのではないか」と答えたところ「図星だよ」と言ってチャイコフスキーは喜んだと記している。チャイコフスキーはアンナ・ペトローヴナに対して「第1楽章は幼年時代と音楽への漠然とした欲求、第2楽章は青春時代と上流社会の楽しい生活、第3楽章は生活との闘いと名声の獲得、最終楽章は〈De profundis(深淵より)〉さ。人はこれで全てを終える。でも僕にとってはこれはまだ先のことだ。僕は身のうちに多くのエネルギー、多くの創造力を感じている。(中略)僕にはもっと良いものを創造できるのがわかる」と話したと述懐している[5]
作曲の経緯・初演博士ガウンを身に纏ったチャイコフスキー《1893年6月、ケンブリッジ大学にて》交響曲第6番が作曲されたテーブル(チャイコフスキーの家博物館


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