交響曲第4番_(マーラー)
[Wikipedia|▼Menu]

音楽・音声外部リンク
全曲を試聴する
Mahler:Symphony 4
- Kaleidoscope Chamber Orchestra他による演奏。Kaleidoscope Chamber Orchestra公式YouTube。
MAHLER Symphonie Nr.4 Satz_1Satz_2Satz_3Satz_4 - Elisabeth Fuchs指揮Philharmonie Salzburg他による演奏。Philharmonie Salzburg公式YouTube。
MAHLER Symphony No.4:I.II.III.IV. - Keith Lockhart指揮Brevard Music Center Orchestra他による演奏。Brevard Music Center公式YouTube。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル クラシック音楽

交響曲第4番ト長調(こうきょうきょく だい4ばん トちょうちょう)は、グスタフ・マーラーが1900年に完成した交響曲。4つの楽章から成り、第4楽章で声楽としてソプラノ独唱を導入している。
概要

マーラーの全交響曲中もっとも規模が小さく、曲想も軽快で親密さをもっているため、比較的早くから演奏機会が多かった。マーラーの弟子で指揮者ブルーノ・ワルターは、この曲を「天上の愛を夢見る牧歌である」と語っている。

歌詞に『少年の魔法の角笛』を用いていることから、同様の歌詞を持つ交響曲第2番交響曲第3番とともに、「角笛三部作」として括られることがあるが、後述する作曲の経緯を含めて、第3番とは密接に関連しているものの、第2番とは直接の関連は認められず、むしろ音楽的には第5番との関連が深い。古典的な4楽章構成をとっており、純器楽編成による第5番以降の交響曲群を予告するとともに、一見擬古的な書法の随所に古典的形式を外れた要素が持ち込まれ、音楽が多義性を帯びてきている点で、マーラーの音楽上の転換点にも位置づけられる。

また、「大いなる喜び(歓び)への賛歌」という標題で呼ばれることがあるが、マーラー自身がこのような標題を付けたことはない。第4楽章の「天上の喜び」を歌った歌詞内容が誤ってこのように呼ばれ、さらに全曲の標題として誤用されたと考えられる。演奏時間は55分前後。
作曲の経緯
「天上の生活」

マーラーは1892年に『少年の魔法の角笛』の歌詞に基づいて「天上の生活」(Das himmlische Leben) を作曲、1893年に他の「角笛」作品5曲をまとめて「フモレスケ」としてハンブルクで初演していた。3年後の1895年から着手した交響曲第3番の構想では、「天上の生活」は第7楽章「子供が私に語ること」として位置づけられていた。しかし、翌1896年には最終的に第3交響曲から切り離された。また、時期ははっきりしないが、これと前後してマーラーには「天上の生活」に基づく6楽章構成の「フモレスケ」交響曲の構想もあった。これについては後述する。「天上の生活」が再び交響曲の楽章として取り上げられるのは、さらに3年後の1899年であった。
ウィーン時代の幕開け

この間、1897年4月8日に37歳で念願のウィーン宮廷歌劇場指揮者に就いたマーラーは、5月11日ワーグナー歌劇ローエングリン』を指揮してデビューを飾った。10月8日には、ハンス・リヒターに代わって、同歌劇場の音楽監督となる。1897年は、『魔笛』や『さまよえるオランダ人』を新演出によって上演、1898年には『ニーベルングの指環』(9月)、『トリスタンとイゾルデ』(10月)をそれぞれ初めてノーカットで上演して大成功を収めた。1899年には『ニュルンベルクのマイスタージンガー』をウィーン初演している。

さらに1898年9月24日、マーラーはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者にも就任する。1901年4月1日に辞任するまでの3年間、古典派音楽からマーラーと同時代の作品に至るまで、幅広いレパートリーを指揮した。ベートーヴェン弦楽四重奏曲第11番(ヘ短調作品95)を弦楽合奏用に編曲して上演、賛否両論を巻き起こしたほか、交響曲第5番(1899年)や交響曲第9番1900年)を改訂して上演し、非難を浴びた。また、1900年6月には同楽団を率いてパリ万国博覧会に参加している。

マーラーは自身の理想を追求する精力的な活動と音楽的実力によって楽団を掌握し、多くの人材がマーラーを慕って集まった。一方、会場を盛り上げる「サクラ」など旧来の慣習を廃し、楽団員に対しては専制君主的に接したことによって、保守的でプライドが高いウィーンの歌手や演奏者との軋轢(あつれき)が生じるなど波紋も広がった。
交響曲第4番の着手・完成

1899年の夏、マーラーはアルタウッセ湖(ドイツ語版)畔で過ごすが、その年には、ヴェルター湖畔のマイアーニック(ドイツ語版)に土地を購入し、翌1900年から同地で夏の休暇を過ごすようになった。マイアーニック滞在中は、ドロミテの美しい南チロル地方の旅行なども楽しんだりもしている。

1899年、アルタウッセにおいて、『少年の魔法の角笛』から「死んだ鼓手」を作曲、8月20日からは交響曲第4番に着手する。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:46 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef