交響曲第4番_(シューマン)
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交響曲第4番

ロベルト・シューマン
形式交響曲
調拍子ニ短調
テンポ1.Ziemlich langsam ? Lebhaft
2.Romanze. Ziemlich langsam
3.Scherzo. Lebhaft ? Trio
4.Langsam ? Lebhaft ? Presto 速度指定なし
出版年1854年
制作国 ザクセン王国 ライプツィヒ
作品番号120
献呈クララ・シューマン
プロジェクト:クラシック音楽
Portal:クラシック音楽
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ポータル クラシック音楽

ロベルト・シューマンの交響曲第4番ニ短調作品120は、妻クララの22歳の誕生日1841年9月13日に、誕生日プレゼントとして彼女に贈られた。作曲はその直前3か月間で行われた。
目次

1 概要

2 作曲の経緯

2.1 初稿

2.2 改訂稿


3 楽器編成

4 楽曲構成

4.1 第1楽章 かなり緩やかに (Ziemlich langsam) ? 生き生きと (Lebhaft)

4.2 第2楽章 ロマンツェ かなり緩やかに (Ziemlich langsam)

4.3 第3楽章 スケルツォ 生き生きと (Lebhaft)

4.4 第4楽章 フィナーレ 緩やかに (Langsam) ? 生き生きと (Lebhaft)

4.5 初稿の特徴


5 オーケストレーションの変更・改訂

6 参考文献

7 外部リンク

概要

2人の結婚は1840年9月12日(ロベルト30歳・クララ20歳)なので、クララにとっては結婚してから2回目の誕生日になる。初演は、そのクララの誕生日から3か月後の1841年12月6日に行われ、10年後1851年に改訂され、現在は改訂版が多く演奏されている。全体構成、楽想、規模ともシューベルト交響曲第4番ハ短調『悲劇的』の影響が見られる。

作曲年次としては、第1番『春』に次ぐ2番目の交響曲であるが、改訂後の出版年次(1854年)により第4番とされた。作品番号は120が与えられたが、これは改訂版に対してであり、初版の作品番号は正確には存在しない。

演奏時間は改訂版で約30分。
作曲の経緯
初稿 シューマンとクララ

1840年9月にクララと結婚したシューマンにとって、翌年1841年は、交響曲を2曲そして序曲など作曲活動が順調に進んだ年となった。まず1月から2月にかけて第1交響曲を完成し、3月に序曲、スケルツォとフィナーレ作品52、4月から5月にかけてピアノと管弦楽のための幻想曲(後に改訂され、ピアノ協奏曲の第1楽章となる)を立て続けに作曲する。さらに6月から、後に第4番とされたこのニ短調交響曲の作曲に取りかかり9月9日に完成し、9月13日の妻クララの誕生日に彼女にプレゼントした。

初演は、3か月後の12月6日序曲、スケルツォとフィナーレとともに、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団により行われた。しかし、メンデルスゾーンの体調不良のため、代わりにコンサートマスターフェルディナント・ダーヴィトが指揮したことや、これら新作発表に加えて、クララリストの二人のピアノ演奏もこの演奏会で行われたため、聴衆の目がこの二人に集中したことなどから、結局、初演当日のプログラム表記が『交響曲第2番』であったこのニ短調交響曲は、十分な評価を初演時に得るには至らず出版は見送られた。

シューマンは「この曲は第1番より決して劣るものではない」と自信を持っていたが、結局、この初稿に基づく版(後述)が出版されたのはシューマン死後の1891年である。
改訂稿

初稿の10年後、1851年に交響曲第3番『ライン』を完成したシューマンは、ニ短調交響曲の改訂に取りかかり、数日で完成させた。オーケストレーションもかなり書き換えられたが、本人がヨーゼフ・ヨアヒムへの手紙に「それが主目的じゃなかった」と書いているように、元の構成はほぼそのまま活かしながらも全体としての統一性をより高める変更を取り入れ、楽章毎の区分をなくして全曲休みなく続けて演奏されるようになったことが最大の相違点である(ただし、2003年にブライトコプフ社から出版されたジョン・フィンソン校訂版においては、第1楽章と第2楽章の終止線がいずれも複縦線に置き換えられており、アタッカの扱いとなっている)。改訂後のこの作品をシューマンは「交響的幻想曲」と呼んだこともあり、後述する自筆譜にはそのタイトルをつけようとしたが、それを消して結局現在のタイトルにしたことが残されている。

改訂版は1853年12月30日にデュッセルドルフにおいてシューマン自身の指揮によって初演され、翌1854年に出版された。シューマンは初演について、「以前の作品より充実していて、効果十分だった」と書いている。この曲の楽譜には正式な献辞はないが、シューマンは自筆譜をヨアヒムに贈っている。

シューマンの死後、その楽譜の編集に当たったヨハネス・ブラームスは初稿の優位性を主張して、クララと意見が対立したといわれる。結局ブラームスの尽力で初稿版は1889年10月22日にケルンでフランツ・ヴュルナーの指揮で再演され、ブラームスとヴュルナーの校訂版として1891年には出版されるのだが、ヴュルナーは自筆に従った校訂を、ブラームスはシューマンによる最終稿の要素を取り入れた校訂を主張し、最終的には部分的に最終稿を採用する形でまとめられたため、厳密な意味での初稿版ではない。現在では改訂稿が一般的に演奏されるが、このヴュルナー版(1891年版と表記されることもある)や後に出版された1841年の初演版による演奏や録音もある。

この曲の日本初演は1926年12月11日、福岡市記念館にて、佐野伴治・荒川文六指揮、九大フィルハーモニー・オーケストラによって行われた。
楽器編成

フルート2、オーボエ2、クラリネット2(初稿:C管→改訂版:B♭管)、ファゴット2、ホルン4、トランペット2(D管→F管)、トロンボーン3、ティンパニ弦五部
楽曲構成

前述したように楽章区分はなく、全曲は休みなく続けて演奏されるが、ここでは便宜上4つの楽章に分けて述べる。各楽章で共通する主題が使用され、全曲の有機的な統一性を高めていることが特筆される。

音楽・音声外部リンク
全曲を試聴する
Schumann:4. Sinfonie
- フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮hr交響楽団による演奏。hr交響楽団公式YouTube。
SCHUMANN Symphony No.4 - クリスティアン・マチェラル(Cristian M?celaru)指揮デトロイト交響楽団による演奏。


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