交響曲第3番は、クシシュトフ・ペンデレツキが1988年から1995年の間に作曲した交響曲。 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の創立100周年に際し委嘱された[1]。
自由なリズムによる楽節、半音階技法、不協和音、大規模な打楽器の編成など、1980年代のペンデレツキを表すような曲である[2]。作品の密度の高い対位法、革新的な管弦楽法、自由なハーモニー、複雑なリズムは、ペンデレツキが1986年に作曲したオペラ「黒い仮面」を思わせる[1]。
経緯クシシュトフ・ペンデレツキ(1993年)
初期のころから、彼はポーランドの前衛音楽における主要な作曲家の一人だった[3]。ペンデレツキは、リズムや和声、メロディなどの従来の側面からの脱却に興味を持っていた。この期間の重要な作品、特にアナクラシス(1959?60)、広島の犠牲者に捧げる哀歌(1960)、蛍光 (1961?62)は、アルゴリズム作曲法によるさまざまなダイナミクスの音、そしてトーンクラスターの技法を用いたものである[4]。
しかし、1970年代初頭までに、ペンデレツキの作曲は前衛運動から遠ざかっていった。ペンデレツキは1970年代に指揮者として活動する間に新ロマン主義音楽の再評価を始めた。指揮をしていた音楽は、ペンデレツキの音楽に大きな影響を与えた。この間、ブルックナー、シベリウス、チャイコフスキーを指揮していたこともあり、ロマンティックなアイデアを持ち始めたと明らかにしている[5]。この時点で、ペンデレツキの音楽はメロディックで叙情的な表現、そして劇的な性格を特徴とし始める[6]。
ペンデレツキは、1970年代初頭は彼の作曲スタイルに大きな変化をもたらしたと感じた[7]。この変化にとって重要なのは、作曲家が「伝統」を改めて強調することだった。1954年から57年にかけてペンデレツキの師であったアルトゥール・マラウスキーが、現代の技法と従来の音楽形式とのバランスをとっていたことが伝統の重要性を表している。 ペンデレツキは、マラウスキーの作曲哲学を繰り返した。ペンデレツキにとって、伝統的な作曲法は「音楽家と聴衆の間の不協和音を克服する好機会」としても役立った[4]。
特に交響曲は、1970年代初めにはペンデレツキにとって不可欠なジャンルとなった。1970年代以降、ペンデレツキは交響曲について、さまざまな説明をした。たとえば、1980年の交響曲第2番については「19世紀後半の交響曲の伝統に完全に触れている」と述べた[8]。また2000年には、交響曲について、ロマン主義的な伝統を続けようとしていることは明白である、とも述べている[9]。 伝統的な3管編成に加え、多くの打楽器を使用する。特に第2楽章で活躍する[10]。
編成
木管楽器
フルート: 2
ピッコロ: 1
オーボエ: 2
コーラングレ: 1
B♭管クラリネット: 3
A管クラリネット: 1(1stが持ち替え)
E♭管クラリネット: 1(2ndが持ち替え)