交響曲第3番_(ベートーヴェン)
[Wikipedia|▼Menu]

音楽・音声外部リンク
全曲を試聴する
Beethoven:3. Sinfonie (≫Eroica≪)
- アンドレス・オロスコ=エストラーダ指揮hr交響楽団による演奏。hr交響楽団公式YouTube。
Beethoven:Symphonie n°3 ≪Heroique≫ - ベルナルト・ハイティンク指揮フランス国立管弦楽団による演奏。France Musique公式YouTube。
Beethoven - Symphony No.3 - ミヒャエル・ギーレン指揮南西ドイツ放送交響楽団による演奏。EuroArts公式YouTube。
Beethoven:Symphony no.3 Eroica - フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮オランダ放送室内フィルハーモニー(Radio Kamer Filharmonie)による演奏。AVROTROS Klassiek公式YouTube。
ベートーヴェン 交響曲第3番 - ユッカ=ペッカ・サラステ指揮ケルンWDR交響楽団による演奏。WDR Klassik公式YouTube。
交響曲第3番の浄書総譜表紙(ウィーン楽友協会蔵).mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル クラシック音楽

交響曲第3番 変ホ長調 作品55『英雄』(こうきょうきょくだい3ばん へんホちょうちょう さくひん55 えいゆう、原題:: Sinfonia eroica, composta per festeggiare il sovvenire d'un grand'uomo 英雄交響曲、ある偉大なる人の思い出に捧ぐ)は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン1804年に完成させた交響曲。『英雄』のほか、イタリア語の原題に由来する『エロイカ』の名で呼ばれることも多い。ベートーヴェンの最も重要な作品のひとつであると同時に、器楽音楽による表現の可能性を大きく広げた画期的大作である。
概要

フランス革命後の世界情勢の中、ベートーヴェンのナポレオン・ボナパルトへの共感から、ナポレオンを讃える曲として作曲された。しかし、完成後まもなくナポレオンが皇帝に即位し、その知らせに激怒したベートーヴェンは「奴も俗物に過ぎなかったか」とナポレオンへの献辞の書かれた表紙を破り捨てた、という逸話がよく知られている[1]

この曲は、ハイドンモーツァルトなどの古典派の交響曲や、自身の交響曲第1番第2番からの飛躍が著しい。曲の長大さや、葬送行進曲スケルツォといったそれまでの交響曲の常識からすると異質にも思えるジャンルとの本格的な融合、マーラーを先取りする「自由に歌うホルン」を取り入れたオーケストレーション、さらに英雄的で雄大な曲想などの点において革新的である。

この曲の題名のように用いられているエロイカ (eroica) は、男性単数名詞を形容する eroico という形容詞が女性単数名詞である sinfonia (交響曲)を修飾するために語尾変化したものである。sinfonia eroica を直訳すると「英雄的な交響曲」となる。したがって交響曲第6番「田園」の場合のように交響曲をもとにして田園の情景を描いたいわゆる標題交響曲とは異なり、「英雄を描写した交響曲」という意味は持っていない。

1817年(第9交響曲を作曲中のころ)、「自作でどれが1番出来がいいと思いますか」という詩人クリストフ・クフナーの質問に対し、ベートーヴェンは即座に「エロイカ」と答え、「第5交響曲(運命)かと思いました」と言う言葉に対しても「いいえ、いいえ、エロイカです!」と否定している。
作曲の経緯ベートーヴェン

作曲者の「無給の秘書」シンドラーが書いた伝記によると、当時ウィーン駐在のフランス公使だったベルナドット将軍(後のスウェーデン国王カール14世ヨハン)の勧めにより作曲を始めたものとされていたが、このエピソードはシンドラーの創作であるとする説が有力視されており、この交響曲の作曲に着手したきっかけはよくわかっていない。

なお、ナポレオンが皇帝に即位したという知らせを聞いたベートーヴェンが「奴もまた俗物に過ぎなかったか。これから、人々の人権を踏みにじって自分の野心のためだけに奔走し、誰よりも自分が優れていると誇示する暴君になるのだろう」と激怒し、献辞が書いてある表紙を破り取ったという、弟子フェルディナント・リースの回想に基づく有名なエピソードが伝えられている。しかし実際は、ウィーン楽友協会に現存する浄書総譜には表紙を破り取った形跡はなく、表紙に書かれた「ボナパルト」という題名とナポレオンへの献辞をペンでかき消した上に「シンフォニア・エロイカ」と改題され、「ある英雄の思い出のために」と書き加えられている。

ナポレオンへの献呈は取り止めになり、最終的な献呈先はロブコヴィツ侯爵に落ち着いた。この書き足された「ある英雄」が誰であるのかに関しては昔からいろいろ推測されてきたが、ごく最近「この「ある英雄」は、非公開の初演に立会い、1806年7月9日イェーナの会戦で戦死したプロイセン王子ルイ・フェルディナントフリードリヒ大王の甥で音楽的才能もあった)ではないか」という説も出てきている。

またそれゆえに、ベートーヴェンが皇帝に即位したナポレオンに激怒したという件についても、事実であるかどうか疑いが持たれている。ベートーヴェンは終始ナポレオンを尊敬しており、第2楽章が英雄の死と葬送をテーマにしているため、これではナポレオンに対して失礼であるとして、あえて曲名を変更し献呈を取り止めたという説もある[2]
演奏の歴史
初演

1804年12月、ロブコヴィツ邸にて(非公開)

1805年4月7日オーストリアウィーンアン・デア・ウィーン劇場にて(公開)

日本初演

1909年明治42年)11月28日東京上野奏楽堂にてA.ユンケル指揮、東京音楽学校管弦楽団(第1楽章のみ)

1920年大正9年)12月4日、東京・上野の奏楽堂にてG.クローン指揮、東京音楽学校管弦楽団(全曲)

編成

編成表木管金管
フルート2ホルン3ティンパニ一対第1ヴァイオリン
オーボエ2トランペット2他第2ヴァイオリン
クラリネット2他ヴィオラ
ファゴット2チェロ
コントラバス

作曲当時のオーケストラの一般的な編成ではホルンは2本または4本である[3]が、この曲はホルン3本という変則的な編成を採用している。第3楽章・トリオではこの3本による演奏が行われる。
演奏時間


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:48 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef