この項目「交響曲第3番 (チャイコフスキー)」は途中まで翻訳されたものです。(原文:英語版 "Symphony No. 3 (Tchaikovsky)" 15:06, 1 March 2007 (UTC)
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Tchaikovsky Symphony No.3 - Paul Phillips指揮Pioneer Valley Symphonyによる演奏。Northampton Community Television(映像制作者)公式YouTube。
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交響曲第3番 ニ長調(ロシア語:Симфония No.3)作品29は、ピョートル・チャイコフスキーが1875年に作曲した作品。『ポーランド』の愛称で知られている。
概要『ジュエルズ』最終幕「ダイヤモンド」の一場面《2007年撮影》。写っているのはルパート・ペネファーザー(右)とアリーナ・コジョカル(左)。
今や名曲の誉れ高い『ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23』[1][2]を書き上げてから数ヶ月経過した1875年6月17日に作曲を開始、同年7月2日にはほぼ書き上げており、作曲開始から約2ヶ月経った同年8月13日にはオーケストレーションまで完了させている。当時、チャイコフスキーはモスクワ音楽院に於いて教鞭を執っており、そこで教えていた学生の一人で才能を高く評価していたウラジーミル・シロフスキー[注 1]と親友関係を築き上げていた。そのためか、1870年代、チャイコフスキーはウクライナのウーソヴォにあったシロフスキーの住まいをしばしば訪れており、当交響曲の作曲を開始した時にもウーソヴォに滞在していた。当交響曲はシロフスキーに献呈されている[3]。
オーケストレーションを終えてから約3ヶ月経過した1875年11月19日、モスクワで開催された第1回ロシア音楽協会演奏会に於いて、ニコライ・ルビンシテインの指揮により初演され、好評を博した[3]。
なお、前記『ピアノ協奏曲第1番作品23』の他、オーケストレーション完了と時期をほぼ同じくしてバレエ音楽『白鳥の湖』の作曲に着手して翌1876年4月に完成させるなど、当楽曲が書き上げられた頃はチャイコフスキーにとって傑作を次々に生み出していた時期にあたっており、そのことを背景にして当楽曲は音楽的に充実したものとなっている。にもかかわらず、演奏される機会はチャイコフスキーの交響曲の中では比較的少ないものとなっている[3][4][5][6]。
チャイコフスキーが遺した完成された番号付交響曲全6曲の中で唯一、長調で曲が始まっているという点だけでなく、2つのスケルツォ楽章を持つ全5楽章構成という点も特筆されている。また、『交響曲第1番”冬の日の幻想”』や『交響曲第2番”小ロシア”』に於いて色濃く見受けられるロシア5人組の影響からの脱却を図っていることも特徴の一つとなっている。なお、前記の通り、当交響曲に『ポーランド』という愛称が付けられているが、これは作曲家自身が付したものでは無く、終楽章(第5楽章)の主題にポーランド特有の舞曲である「ポラッカ(ポロネーズ)」のリズムが用いられていることから、イギリスで付与されたものである[3][7][8]。