交阯
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この項目では、歴史的な交趾地域について説明しています。交趾発祥とされる焼き物、京焼きの交趾については「交趾焼」をご覧ください。

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交趾郡(こうし-ぐん/こうち-ぐん・交阯郡、ベトナム語: Giao Ch?)は、前漢からにかけて置かれた中国の名称。現在のベトナム北部紅河中下流域地域を指し、後にこの地域が独立した後もこの地域及びその地の諸政権を交趾・交阯(こうし/こうち)と呼称し、日本などにおいても用いられた。

古くはこの地方の住民のが大変大きく、真っ直ぐに立つと左右両足の(趾)が交差するからだとされて来たが、全く根拠が無く、その地名の由来は不詳である。その呼称が登場する最古の記録はがこの地域に進出して以後である。

前漢の武帝南越を征服して置いた9つの郡の一つであり、当初は??・安定・苟?・??・曲昜・北帯・稽徐・西于・龍編・朱?の10により構成されていた。郡治についてははっきりしない。『晋書』、『元和郡県図志』は龍編県とし、『水経注』引『交州外域記』は??県とし、『大越史記全書』、『大越地輿全編』引『漢書』師古注は??県とする。その後の歴代政権に継承され、後漢末期から初期にかけては交州に属して士燮が群雄の一人として割拠した。その後、行政区分の変更によって県の数に変動が生じたが、の時代に交趾郡の郡治(郡の役所の所在地)として交趾県が設置された。その後唐の初期に行政区分の改革に伴い、交州が交趾郡の領域に縮小・統合されて以後、交州と称した。交州のもとでも唐の末期に移転されるまで交趾県に交州の州治が置かれていた。

名古屋コーチンなど、鶏の品種名に使われるコーチンはこの地名に由来するとされる。コーチシナ(=英:cochinchina,cochin china)と表記されることもある。










漢朝の行政区分 

 前漢

司隷校尉部京兆尹渭南郡) | 左馮翊河上郡) | 右扶風中地郡) | 河南郡 | 河東郡 | 河内郡 | 弘農郡
豫州刺史部潁川郡 | 汝南郡 | 梁国(碭郡) | 沛郡
兗州刺史部淮陽国淮陽郡) | 陳留郡(済川郡) | 定陶国(済陰郡) | 東郡 | 山陽郡(昌邑国) | 東平国 | 泰山郡 | 城陽国
青州刺史部斉郡 | 済南郡(博陽郡) | 済北国 | 平原郡 | 千乗郡 | ?川国 | 高密国膠西国) | 北海郡 | 膠東国 | 東莱郡
徐州刺史部東海郡 | 楚国彭城郡) | 魯国(薛郡) | 琅邪郡 | 広陵国広陵郡) | 臨淮郡 | 泗水郡沛郡
冀州刺史部魏郡 | 趙国 | 広平国 | 鉅鹿郡 | 清河郡 | 信都国広川国) | 河間国 | 真定国 | 常山郡恒山郡) | 中山国
幽州刺史部広陽郡(燕国) | 涿郡 | 勃海郡 | 上谷郡 | 漁陽郡 | 右北平郡 | 遼西郡 | 遼東郡 | 蒼海郡 | 楽浪郡 | 真番郡 | 臨屯郡 | 玄菟郡
并州刺史部太原郡 | 代郡 | 上党郡 | 雲中郡 | 雁門郡 | 定襄郡
朔方刺史部朔方郡 | 五原郡 | 西河郡 | 上郡 | 北地郡
涼州刺史部隴西郡 | 天水郡 | 安定郡 | 酒泉郡 | 張掖郡 | 敦煌郡 | 武威郡 | 金城郡 | 西海郡


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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