交通地理学
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交通地理学(こうつうちりがく、イギリス英語: transport geography、アメリカ英語: transportation geography[1])は、交通現象を地域の側面から考察する人文地理学の一分野であり[2]、交通現象を空間的な側面から理解しようとする[3]
学史

1841年にドイツ地理学者ヨハン・ゲオルグ・コール(Johann Georg Kohl)が『地表の形態に依従するものとしての人間の交通および聚落』(Der Verkehr und die Ansiedelungen der Menschen in ihrer Abhangigkeit von der Gestaltung der Erdoberflache)を発表したことが交通地理学の始まりとなった[4]。コールは交通地理学の研究において自然環境人間活動の相互関係に着目し[5]、交通路の形態と地形との関係性について研究した[2]。この方法はアンドレーやヘットナーなど、コールにつづく地理学者にも引き継がれた[6]。しかしエーリヒ・オトレンバ(ドイツ語版)などは、より複雑な分析が求められる社会環境を考慮できていないことを批判し、環境決定論にとらわれない分析を行おうとしたものの、その間に都市地理学など地理学の他分野における交通の研究が大きく進行し、それらも交通地理学とよばれるようになった[7]。このため、交通地理学には、環境と交通路・交通様式との関係性を研究する場合と、地理学の他分野の研究のために交通を考える場合の2つが考えられ、さらに両者の統合も困難となり方法論の確立が難しくなった[8]青木栄一は、前者の研究例として交通機関・交通路の開通の要因と過程の研究を、後者の研究例として交通機関・交通路の開通に伴う地域への影響を挙げ、後者は都市地理学商業地理学との類似性を指摘している[9]

1920年代から1930年代前半に、ドイツ学派の交通地理学は日本にも伝播し[10]、日本における最古の交通地理学の教科書『世界交通地理概説』は、1923年に富士徳治郎によって書かれた[11]。ここではヘットナーの考えが解説され、自然環境と距離条件をもとに交通路の分布や機能の説明が行われた[11]。第2次世界大戦前の日本では交通地理学の流派が3つあった。まず、ドイツ学派に基づくグループは自然環境と交通現象の分布に着目しようとする地理学独自の見方から研究を行い、それらの研究対象は地図で表示可能な交通現象である[12]。代表的な研究者として淡川康一が挙げられる[13]。次に、歴史地理学集落地理学の研究の中で交通史の研究が行うグループがあった。ここでは過去の交通路の分析のほか、集落の分析から交通を説明したり、過去の戦争と交通路の関係性の研究が行われたりした[13]。代表的な研究者として田中啓爾小川琢治が挙げられる[13]。この他、井上長太郎や堀江賢二など既存の地理学の領域に縛られず自由な視点で研究を行った研究者もいたが、当時の日本の交通地理学界からは評価されていなかった[14]

1950年代以降、山口平四郎清水馨八郎有末武夫・柾幸雄により日本における交通地理学の体系化が進行した[15]。山口平四郎は、当該地域の自然環境や経済状態をもとに、土木や交通の技術革新を踏まえて交通施設の立地を説明する形で、歴史地理学的に地域を総合的に理解しようとした[16]。清水馨八郎は交通現象をもとに大都市の都市構造の分析を行い、都市問題や交通問題の研究や対処方法の提言などを行った[16]。有末武夫は交通流をもとに交通圏を考案したほか、交通の発達を人口、産業、土地利用で説明しようとし、地域社会と交通の関わりを交通流や交通路をもとに明らかにしようとしていた[17]。柾幸雄は港湾について経済史、交通政策史を踏まえたうえで発展プロセスを把握しようとしていた[18]

1960年代になると、エドワード・アルマン計量地理学の方法を交通地理学に応用するようになり[2]、日本でもアメリカでの計量革命の影響を受け、計量的な交通地理学研究が行われるようになった[19]奥野隆史はOD調査により地域間結合を明らかにしたほか、交通地理学において計量的な研究を行った[9]。1970年代になると計量的な交通地理学研究はさらに増加し、交通ネットワークや地域間結合の計量的な分析が盛んに行われた[20]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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