かつて大阪府大阪市にあった「交通科学博物館」とは異なります。
交通博物館(こうつうはくぶつかん、英語: Transportation Museum)は、かつて東京都千代田区神田須田町にあった交通の全般にわたって収集・展示を行う日本の博物館である。
東日本旅客鉄道(JR東日本)が所有し、公益財団法人交通文化振興財団に運営を委託していた。
2006年5月14日限りで閉館し、後継施設として翌2007年10月14日に埼玉県さいたま市大宮区・北区大成町に鉄道博物館が開館した。ただしこれは鉄道部門に限定した「収蔵品展示事業」のみの後継であり、運営する団体が異なるため調査研究活動の継承は行われていない。 館内には鉄道・船舶・自動車・航空機がフロア別に展示されていた。特に日本の鉄道黎明期に活躍した1号機関車や初代1号御料車(ともに重要文化財)、徳川好敏陸軍大尉が日本初の飛行に使用したアンリ・ファルマン機などを始めとした各分野の貴重な実物資料が多数収蔵展示されていた。また4階には鉄道省や日本国有鉄道などの資料を閲覧できる図書室があり、3階の映画ホールでは関連資料を中心に上映を行なっていた。 屋外にも弁慶号機関車や善光号機関車(ともに鉄道記念物)などの歴史的価値のある鉄道車両が展示されていた。 1階には鉄道模型パノラマ運転場もあり、毎回学芸員が語りと並行して手動で運転していた。走る車両の選定は学芸員の嗜好に左右されるため、どんな列車が走るのかも楽しみの一つになっていたほか、BGMも学芸員が編集したCDやMDを使用するなど、学芸員の手腕も見所だった。システムは学芸員と日本信号の共同開発によるものであり、自動列車停止装置 (ATS) を搭載していた。そのため、語りに集中する余り、万が一編成同士が接近したとしても追突する恐れはなかった。 鉄道以外では国鉄バス第1号車や富士重工業・スバル360、ベンツ三輪自動車のレプリカ、日本航空のボーイング747型機の客室内モックアップ、ターボプロップエンジンのカットモデルなどの展示があった。 また、食堂は151系こだまを模したインテリアで、カレーやお子様ランチを提供する他、駅弁の販売もあった。 1911年5月4日に鉄道院総裁後藤新平の提案で鉄道院に「鉄道博物館掛」が置かれて(1913年に「鉄道院総裁官房研究所」に統合)設置が検討され、1921年10月14日に「鉄道開通50周年」を記念して東京駅の神田駅寄り高架下に鉄道博物館の名称で開設された。 だが、関東大震災で施設・収蔵品のほとんどを焼失。いったんは同地に再建されたものの敷地が狭く新規の収蔵品展示が困難なため本格的な博物館施設の建設が計画され、1936年4月25日に旧万世橋駅駅舎跡の敷地を利用した新館に移転された。 当初は鉄道省(後に運輸通信省)の直営であったが1946年1月25日から「財団法人日本交通公社」に委託されて名称を日本交通文化博物館と改め、1948年9月1日に交通博物館と再改称。1971年からは「財団法人交通文化振興財団」に運営が移管され、1987年の国鉄分割民営化後は東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承された。なお、運営は引き続き交通文化振興財団に委託された。 しかし同館は収蔵・展示品目の増加によって手狭になり、また建物の老朽化も進んできていた。それに加え業務用も含めてエレベーターが一切なくバリアフリーに対応していないことなどから、2006年5月14日限りで閉館し、70年にわたる万世橋での歴史に幕を閉じた。 なお、閉館直前には旧万世橋駅跡地の留置線にEF55形電気機関車や寝台特急「出雲」の編成の一部が期間限定で展示されていた。
概要
沿革
年表「万世橋駅#歴史」も参照
1911年5月4日 - 総裁・後藤新平の指示で鉄道院に鉄道博物館掛が置かれ、資料収集を開始。
まもなく官制改革で鉄道博物館掛は廃止、収集資料は鉄道省大臣官房研究所(現: 鉄道総合技術研究所)へ継承。
1921年10月14日 - 鉄道開業50周年を記念して鉄道博物館として開館。10日間の限定開館ながらのべ58万人が来館。
開館当初は東京駅北口に仮設施設(限定公開)という形で所在していた。また、展示品は鉄道関係資料だけであった。
1923年9月1日 - 関東大震災により資料を焼失。
1924年4月8日 - 呉服橋架道橋付近(東京駅 - 神田駅間高架下)に場所を移転して再開(一般公開開始)。