亡き王女のためのパヴァーヌ
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『亡き王女のためのパヴァーヌ』
フランス語: Pavane pour une infante defunte

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『亡き王女のためのパヴァーヌ』(原曲版)1976年、テレーズ・デュソー(フランス語版)による演奏。この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。
ジャンルピアノ曲
作曲者モーリス・ラヴェル
ポータル クラシック音楽

『亡き王女のためのパヴァーヌ』(なきおうじょのためのパヴァーヌ、フランス語: Pavane pour une infante defunte)は、フランスの作曲家モーリス・ラヴェル1899年に作曲したピアノ曲、および1910年にラヴェル自身が編曲した管弦楽曲

『逝ける王女のためのパヴァーヌ』や『死せる王女のためのパヴァーヌ』などとも訳される。
題名ディエゴ・ベラスケスが描いたマルガリータ王女の肖像画

パヴァーヌとは、16世紀から17世紀にかけてヨーロッパの宮廷で普及していた舞踏のことである。

原題のinfante defunteは文字どおりには「死んだインファンタ(スペインの王女の称号)」を意味し、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}韻を踏んだ表現[要出典]が選ばれている。ラヴェルによると、この題名は「亡くなった王女の葬送の哀歌」ではなく、「昔、スペインの宮廷で小さな王女が踊ったようなパヴァーヌ」だとしている[1]。よって、日本語の表記においても、「亡き王女」と表現すると、死んだ王女という意味が強くなるため、あえて漢字を使わずに「なき王女」と表記することもある。

この古風な曲は、歴史上の特定の王女に捧げて作られたものではなく、スペインにおける風習や情緒に対するノスタルジアを表現したものであり、こうした表現はラヴェルによる他の作品(例えば『スペイン狂詩曲』や『ボレロ』)や、あるいはドビュッシーアルベニスといった同年代の作曲家の作品にも見られる。諸説あるが、ラヴェルがルーヴル美術館を訪れた時にあった、17世紀スペインの宮廷画家ディエゴ・ベラスケスが描いたマルガリータ王女の肖像画からインスピレーションを得て作曲した、とされる[2]
概要

ピアノ曲はパリ音楽院在学中に作曲した初期を代表する傑作であり、ラヴェルの代表曲の1つと言える。

ラヴェルはこの曲を自身のパトロンであるポリニャック公爵夫人に捧げ、1902年4月5日、スペインのピアニストリカルド・ビニェスによって初演された[3]。この曲は世間からは評価を受けたが、ラヴェルの周りの音楽家からはあまり評価されなかった。ラヴェル自身もこの曲に対して、「大胆さに欠ける」、「シャブリエの過度の影響」[4]、「かなり貧弱な形式」と批判的なコメントを行っている。一方で、ラヴェルが晩年重度の失語症に陥った状態でこの曲を聴いた際、「美しい曲だね。これは誰の曲だい?」と尋ねたという逸話が残っている。

曲はト長調で4分の4拍子、速度標語は「十分に柔らかく、ただし緩やかな響きをもって」(Assez doux, mais d'une sonorite large, 四分音符=54)である(後年、ラヴェル自身が録音した演奏により、54-70と幅が持たされている)。2つのエピソードを挟んだ小ロンド形式(単純ロンド形式)を取り、A-B-A-C-Aという構成をしている。

優雅でラヴェルらしい繊細さを持つ美しい小品であり、ピアノ版、ラヴェル自身の編曲による管弦楽版の他にも、多くの編曲者によりピアノと独奏楽器のデュオ、弦楽合奏など様々に編曲され、コンサート、リサイタルの曲目やアンコールとしてしばしば取り上げられる。


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