井草
町丁
井草森公園
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度43分39秒 東経139度36分47秒 / 北緯35.727453度 東経139.612981度 / 35.727453; 139.612981
国 日本
都道府県 東京
特別区 杉並区
人口情報(2024年(令和6年)3月1日現在[1])
人口17,284 人
世帯数9,514 世帯
面積([2])
1.041217156 km²
人口密度16599.8 人/km²
郵便番号167-0021[3]
市外局番03(東京MA)[4]
ナンバープレート杉並
ウィキポータル 日本の町・字
ウィキポータル 東京都
ウィキプロジェクト 日本の町・字
テンプレートを表示
井草(いぐさ)は、東京都杉並区の地名。現行行政地名は井草一丁目から井草五丁目。住居表示実施済み区域である。 東京都杉並区の最北部、西武新宿線以北の地域にあたり、練馬区・中野区と隣接する。東西に走る西武新宿線を底辺とする台形状の町域を持つ。西側の斜辺に相当するのが、上井草駅北側から八成橋交差点までの千川通りであり、これを境界として練馬区下石神井に接している。八成橋交差点以東の区界は道路を離れて住宅地内を走っており、練馬区側は富士見台・南田中となっている。東側の斜辺は杉並区と中野区の区界であり、中野区側は上鷺宮・鷺宮である。また、南側は杉並区下井草・上井草となる。井草は東から西へ一丁目から五丁目に区分されており、主に住宅地として利用される。 南北に環八通り(井荻トンネル)、東西に新青梅街道が貫いており、両者は町域中心部の井草三丁目交差点で交わっている。北端の八成橋交差点付近では、上井草駅方向から東北に向かう千川通り・井荻駅付近から北上する環八通り・下井草駅付近から西北に向かう旧早稲田通りが交錯している。町域南部にはかつて井草川が流れていたが、現在は暗渠化されている。 住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、井草1-19-24の地点で44万5000円/m2、井草5-12-14の地点で43万9000円/m2となっている[5]。 中世から近世までは現在の杉並区北部の広い範囲を指した。 「井草」という地名の由来には諸説がある。 「井草」はもともと、現在の杉並区北部一帯を指す地名であった。中世、武蔵国多摩郡に属する井草村の範囲は、現在の井草・上井草・下井草をはじめ、今川・善福寺・桃井・清水の全域、上荻・西荻北の一部に及ぶ。善福寺一丁目にある井草八幡宮は、「井草」の地名がより広い地域を指していた当時の名残である。 徳川家康が江戸に入部すると、板倉重宗や井上正利が井草村の領主となった。
地理
地価
歴史
地名の由来
善福寺池、妙正寺池周辺の低湿地で、藺草が生えていたことから[6]。
池の草と呼ばれた葦がたくさん生え茂っていたので、池の草→葦草(いぐさ)から[6]。
善福寺池と妙正寺池との間の草原にあるため、池(井)と草原の草から[6]。
この地を開拓した長左衛門という人物が井口姓を名乗り、「草分け長左衛門」と呼ばれたことから[7]。
中世・江戸時代の「井草」
Size:31 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef