井筒俊彦
[Wikipedia|▼Menu]

井筒俊彦肖像
人物情報
生誕1914年5月4日
日本東京府
死没 (1993-01-07) 1993年1月7日(78歳没)
日本神奈川県
国籍 日本
出身校慶應義塾大学文学部英文科
学問
研究分野東洋哲学イスラーム
主な業績神秘主義サービア教徒
主な受賞歴朝日賞1982年
ファーラービー国際賞2009年
テンプレートを表示

井筒 俊彦(いづつ としひこ、1914年(大正3年)5月4日 - 1993年(平成5年)1月7日)は、日本言語学者イスラーム学者、東洋思想研究者、神秘主義哲学者慶應義塾大学名誉教授文学博士エラノス会議メンバー、日本学士院会員。
紹介

語学の天才と称され、大部分の著作が英文で書かれていることもあり、日本国内でよりも、欧米において高く評価されている[1]

アラビア語ペルシャ語サンスクリット語パーリ語ロシア語ギリシャ語等の30以上の言語を流暢に操り、日本で最初の『コーラン』の原典訳を刊行し、ギリシア哲学ギリシャ神秘主義言語学研究に取り組み、イスラムスーフィズムヒンドゥー教の不二一元論、大乗仏教(特に)、および哲学道教の形而上学と哲学的知恵、後期には仏教思想・老荘思想・朱子学などを視野に収め、密教ヒンドゥー教道教儒教ギリシア哲学ユダヤ教スコラ哲学などを横断する独自の東洋哲学の構築を試みた。
来歴・人物
幼少期・青少年期

東京府出身。父の井筒信太郎はオイルマン。また、書家で、在家の禅修行者。坐禅公案に親しんで育つ。

旧制青山学院中学で初めてキリスト教に触れる。当初はキリスト教に激しい嫌悪感を抱き、礼拝の最中に嘔吐したこともある[2]。このころ、西脇順三郎シュルレアリスム文学理論に傾倒。
大学時代

文学部志望だったが父の反対を受け、1931年4月慶應義塾大学経済学部予科に入学。同級に加藤守雄池田彌三郎がいた。しかし経済学の講義に興味なく、西脇順三郎教授を慕って、1934年4月、文学部英文科に転じる。

在学中、旧約聖書に関心を持ち、神田の夜学で小辻節三からヘブライ語を習う。さらに、夜学の先輩関根正雄と意気投合し、アラビア語の教科書をドイツから取り寄せて、関根と共にアラビア語を学ぶ。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:51 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef