井笠鉄道
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井原鉄道」とは異なります。

井笠鉄道株式会社
IKASA TETSUDO
井笠鉄道本社
(破産手続き終了後は井笠観光の本社社屋として使用)[1]
種類株式会社
市場情報非上場
本社所在地 日本
714-0081
岡山県笠岡市笠岡5595-1
設立1911年(明治44年)7月1日
業種陸運業
法人番号5260001017624
事業内容乗合バス事業、貸切バス事業
代表者破産管財人 松井健二
資本金1億5,000万円(2012年3月現在)
売上高9億203万2,000円(2012年3月期)
営業利益△4,260万6,000円(2012年3月期)
従業員数158人(2012年10月現在)
決算期毎年3月
主要株主関藤篤志 発行済株式総数に対する割合18.2%
主要子会社井笠開発・井笠ボーリングセンター
外部リンク“井笠鉄道”. 2012年10月15日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2015年1月13日閲覧。
特記事項:設立日は前身会社の一つ、井原笠岡軽便鉄道の設立日。2012年11月5日破産手続開始決定。2014年7月8日破産手続廃止。
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井笠鉄道株式会社(いかさてつどう、通称井笠バス、英文社名Ikasa Tetsudo)は、岡山県笠岡市に本社を置き、かつて鉄道とバスを中心に事業を展開していた会社。2012年10月31日限りで事業を停止し、会社自体も破産手続に移行し解散した。

井笠鉄道の事業を継承して、2012年11月1日より2013年9月30日まで暫定運行を行った中国バス・井笠バスカンパニー(井笠バス福山カンパニー)および、2013年4月1日より同社井笠バスカンパニーが暫定運行を行った路線のうち、福山市内で完結する路線、および「カブトガニ号」以外の運行を担当し、同年10月1日から福山市内完結路線も運行する井笠バスカンパニーについては「井笠バスカンパニー」を参照。
概要

井笠鉄道は主に岡山県の井笠地方(笠岡市、井原市等)を中心とする西南部と広島県福山市を営業エリアとしていた。そのため、岡山県バス協会広島県バス協会の双方に加盟していた。かつては鉄道路線を有していたが、1971年に廃止されたため、路線バス貸切バスのみの営業となった。また、1991年まで福山市赤坂にて、赤坂遊園という遊園地も経営していた。

コミュニティバスの一部をのぞき岡山県共通バスカード(井笠鉄道発行分)・井笠バス専用バスカード(販売終了)が使用できた。また、福山自動車営業所管轄路線の一部ではPASPYが利用できた(PASPY定期券は鞆鉄道発行分を使用。また鞆鉄道のPASPYを福山駅前案内所やPASPYリーダー装備車の車内で受託販売していた[注 1])。またHarecaの導入予定はなかった。

1990年代まではストライキを頻繁に起こしており、他社がストライキを中止・回避しても井笠鉄道だけは突入することも珍しくなかった。ただし、ストライキを起こしたのは主に第1組合の「私鉄中国地方労働組合井笠鉄道支部」(総評系の私鉄総連加盟)の組合員で、第2組合の「井笠バス労働組合」(同盟系の交通労連加盟)の組合員は通常通りの業務を行うことが多かったため、全便が運休とはならなかった。なお、倒産直前の時期は両組織が統一して「井笠鉄道労働組合」(私鉄総連加盟。総連には『私鉄中国地方労働組合井笠鉄道支部』の名称で登録)となっていた。

2012年10月31日をもって沿線の過疎化や規制緩和などによる経営悪化のためバス事業を撤退し、かつ事業継続を断念、破産手続を行って会社清算されることになった[2][3]。これに伴い、北振バスが井原市と浅口市の循環バス事業の一部を引き継ぎ、主要路線について当面は道路運送法に基づく臨時措置として中国バスが引き継ぐことを要請した[4][5][6]

2012年10月17日に笠岡市役所で岡山・広島両県と7市町などで廃止対策会議が開かれ、代替運行を要請している中国バスに路線・系統の代替について、対策会議としての意見をまとめ、それに基づいて中国バスが代替運行の申請を中国運輸局に行った。代替運行に際し、運行本数の削減や一部系統の廃止が行われ、結果、総社市(旧・清音村)からは路線撤退することとなった。また、寄島 - 里庄間の路線は、里庄町浅口市が共同で代替無償バスを運行した[7][8][9]

なお、従業員はいったん解雇された後で中国バスなどが雇用したが、定期券・回数券・バスカードは使えなくなった(PASPYは中国バスを含む他の利用会社で使用可能)[10]

中国バスは、社内カンパニーの井笠バスカンパニーが代替運行を引き継いだ後、中国バスの100%出資による新会社「井笠バスカンパニー」を設立して、2013年4月1日から福山市内で完結する路線以外の運行を引き継くことを2013年1月に決定した。新会社への引き継ぎに際し、笠岡市内と矢掛町内へ車庫が新設されることになり、それに伴い2路線が新設されることになった。笠岡市美の浜にバスセンターと新会社の営業所が設置された。美の浜地区はバス路線の空白地帯になっており、路線新設により利便性の向上が図られた。このバスターミナルは笠岡市が市有地に建設した。また、矢掛町内の車庫設置と、矢掛駅の駅前ロータリーにも乗り入れることで井原鉄道との乗り継ぎが改善された。

一方、この時点で新会社に引き継がれなかった福山市内で完結する路線は、2013年9月30日まで中国バス・井笠バス福山カンパニー(同社井笠バスカンパニーを改組)により、社内カンパニーでの暫定運行を継続し[11]、2013年10月1日から、一部路線を廃止・デマンドタクシーに移行の上で新会社「井笠バスカンパニー」が運行することになった。

関連会社だった北振バス・井笠観光・井笠自動車整備・井笠郵便輸送・井笠商事は井笠鉄道の破産後も独立系企業として存続していたが、井笠自動車整備は2015年1月23日に破産手続き開始決定[12]。また同じく関連会社だった笠岡タクシーはアサヒタクシー(本社:広島県福山市)の傘下となった[13]。なお、アサヒタクシーは1978年にも同じく井笠鉄道の関連会社だった「久松タクシー」からタクシー事業を譲り受け(同社は井笠商事として存続)、子会社の「グリーンタクシー」を設立した経緯があった。
歴史井笠鉄道記念館の1号機関車

1911年(明治44年)7月1日: 井原笠岡軽便鉄道(いばらかさおかけいべんてつどう)として設立。

1913年(大正2年)11月17日本線笠岡 - 北川 - 井原間が開業。軌間762mm。

1915年(大正4年)11月26日: 井笠鉄道に社名変更。

1921年(大正10年)10月25日矢掛線矢梶B- 北川間が開業。

1925年(大正14年)2月7日高屋線井原 - 高屋間が開業。

1925年(大正14年)8月22日: バス事業を開始する[14]

1940年(昭和15年)1月1日: 神高鉄道を合併。同社線を編入して井原 - 神辺間を神辺線とする。

1964年(昭和39年): 近畿日本鉄道が資本参加し近鉄グループ入り[15]

1966年(昭和41年)2月3日: 井笠観光株式会社設立[14]

1967年(昭和42年)4月1日: 神辺線および矢掛線を廃止[16]。線路用地は鉄道建設公団に買収される。

1968年(昭和43年)9月15日:井笠ボーリングセンター開館[14]

1970年(昭和45年)8月10日:井原ボーリング場開館[14]


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