井田町
町丁
赤山公園
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}井田町井田町の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度58分37.22秒 東経137度10分26.37秒 / 北緯34.9770056度 東経137.1739917度 / 34.9770056; 137.1739917
国 日本
都道府県 愛知県
市町村 岡崎市
地区本庁地区
面積[1]
? 合計0.517933005 km2
人口(2019年(令和元年)5月1日現在)[2]
? 合計6,590人
? 密度13,000人/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号444-0876[3]
市外局番0564(岡崎MA)[4]
ナンバープレート岡崎
井田町(いだちょう)は、愛知県岡崎市の町名である。 岡崎市のやや北西に位置する。主に住宅地を形成している。15個の番地と19個の小字を持つ。町内に井田町1丁目、井田町3丁目、井田町4丁目があるが、これらは丁目ではなく小字であり、正確には井田町字1丁目、井田町字3丁目、井田町字4丁目と表記される。 かつては町内を名鉄岡崎市内線が通り、岡崎井田駅が設置されていた。 2019年(令和元年)5月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。 町丁世帯数人口 国勢調査による人口の推移1995年(平成7年)6,703人[5] 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。 番・番地等小学校中学校高等学校 額田郡井田村の一部を前身とする。古くから人が定住しており町内からは弥生時代の山王遺跡及び赤山遺跡が発掘されている[11]。 中世には、1493年松平氏4代松平親忠らによる井田野合戦が起きた。1506年には井田野の地で、松平氏5代松平長親らが、西三河に侵攻してきた今川氏親の軍と会戦し、破った。また松平氏に仕えた酒井氏により井田城が築かれ、徳川四天王の酒井忠次は1527年に井田城内で出生している。 江戸時代は岡崎藩領であった。
地理
小字
字1丁目
字3丁目
字4丁目
字稲場(いなば)
字鎌研(かまとぎ)
字山王(さんのう)
字城山(しろやま)
字寺前(てらまえ)
字唐機関(とうきかん)
字東城(とうじょう)
字中屋敷(なかやしき)
字西田(にしだ)
字茨坪(ばらつぼ)
字東魂場(ひがしこんば)
字星九田(ほしくだ)
字南(みなみ)
字宮ノ腰(みやのこし)
番地
524
539
544
545
546
548
550
552
555
556
558
562
563
565
566
世帯数と人口
井田町2,940世帯6,590人
人口の変遷
2000年(平成12年)6,719人[6]
2005年(平成17年)6,702人[7]
2010年(平成22年)6,628人[8]
2015年(平成27年)6,649人[9]
学区
全域岡崎市立井田小学校岡崎市立葵中学校三河学区
歴史
沿革
1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行。井田村と伊賀村・能見村・日名村が合併し、広幡村大字井田となる[12]。
1895年(明治28年)5月13日 - 町制施行に伴い、広幡町大字井田となる[12]。
1914年(大正3年)10月1日 - 岡崎町へ編入し、同町大字井田となる[13]。
1916年(大正5年)7月1日 - 市制施行に伴い、岡崎市大字井田となる[13]。
1917年(大正6年)7月1日 - 井田町に改称[13]。
1970年(昭和45年)10月2日 - 十王町にあった岡崎市の議場が井田町1丁目に「岡崎市北部公会堂」して移築される[14]。
1976年(昭和51年)3月25日 - 岡崎都市計画中部土地区画整理事業の換地処分に伴い、一部が井田新町・井田南町・井田西町・錦町・日名北町となる[13][15]。
1978年(昭和53年)3月21日 - 一部が鴨田南町・大樹寺1丁目となる[13][15]。
2009年(平成21年)4月1日 - 岡崎市北部公会堂が廃止[16]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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