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井波 律子人物情報
生誕 (1944-02-11) 1944年2月11日
日本富山県高岡市
死没2020年5月13日(2020-05-13)(76歳)
出身校京都大学
学問
研究分野中国文学
研究機関国際日本文化研究センター
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井波 律子(いなみ りつこ、1944年2月11日 - 2020年5月13日)は、日本の中国文学者。『三国志』、『三国志演義』の著述・翻訳などで知られる。国際日本文化研究センター名誉教授[1]。 1944年、富山県高岡市に生まれる。小学生の時、京都市に転居。京都市立紫野高等学校卒業。1966年京都大学文学部卒業。1972年京都大学大学院文学研究科博士課程修了。 1974年、京都大学助手。1976年、金沢大学助教授、1990年教授。1995年に国際日本文化研究センター教授となる[2]。2009年定年退任[3][4]。朝日新聞書評委員(1998年?2001年)、大佛次郎賞選考委員(2010?2013年)も務めた[2]。紫式部文学賞選考委員[5]でもあった。 2020年5月13日、肺炎のため京都市内の病院にて逝去[2]。76歳没[6]。
経歴
業績
1972年の「曹操論」(『中国文学報』京都大学文学部中国語学中国文学研究室)をはじめ、「『三国志演義』 - 語り物から物語文学へ」(『創造の世界』小学館、1998年)や「大上正美『阮籍・?康の文学』書評、六朝文学に賭けたパトスの精華」(『東方』東方書店発行、2000年)など論文多数。2002年に完訳版『三国志演義』(ちくま文庫、改訂版・講談社学術文庫)を刊行。一般向けの著書も、古典中国文学、『三国志』関連、列伝などで数多く著している。2007年には『トリックスター群像』で第10回桑原武夫学芸賞受賞[2]。
中国文学の研究から派生した妖怪・伝奇研究もある。高島俊男が幸田露伴の「運命」について、ネタ本を訓読しただけだと批判したのに対し、直接高島の論には触れず、露伴は取捨選択していると賞賛している(「幸田露伴の中国小説」『文学』2005年1・2月)。高島との論争には発展していない。
家族・親族
夫は中国文学者の井波陵一[2]。
受賞・栄典
2007年:桑原武夫学芸賞
2015年:京都市文化功労者顕彰
著書
『中国人の機智 「世説新語」を中心として』中公新書, 1983年/講談社学術文庫(大文字版), 2009年
『中国的レトリックの伝統』影書房, 1987年/講談社学術文庫(抄版)[7], 1996年