いぞめ しろう
井染 四郎
本名齋藤 四郎 (さいとう しろう)
別名義伊染 四郎
生年月日 (1907-03-08) 1907年3月8日
没年月日 (1943-06-23) 1943年6月23日(36歳没)
出生地 日本 東京府東京市日本橋区久松町(現在の東京都中央区日本橋久松町)
死没地 日本 福島県石城郡小名浜町(現在の同県いわき市小名浜)
身長171.2cm
職業俳優
ジャンル新劇、劇映画(時代劇・現代劇、サイレント映画・トーキー)
活動期間1929年 - 1943年
配偶者奥田英子
主な作品
『五人の斥候兵』
『土と兵隊』
『将軍と参謀と兵』
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井染 四郎(いぞめ しろう、1907年3月8日 - 1943年6月23日[1][2])は、日本の俳優である[3][4][5][6]。本名は齋藤 四郎(さいとう しろう)[1][2][3][4][5][6]。伊染 四郎と表記に揺れがある。日活太秦撮影所、日活多摩川撮影所などで活躍した二枚目俳優の一人である[3][4]。 1907年(明治40年)3月8日、東京府東京市日本橋区久松町(現在の東京都中央区日本橋久松町)に生まれる[1][2][3][4][5][6]。 旧制獨逸学協会中学校(現在の獨協高等学校)を経て法政大学文科に進学するが、中退[1][3][4][5][6]。大学在学中、築地小劇場のエキストラに応募するも落選してしまい、結局は自動車会社に勤務する、とされている[3][6]。1934年(昭和9年)に発行された『日本映画俳優名鑑 昭和九年版』(映画世界社
来歴・人物
1929年(昭和4年)11月1日、築地小劇場に所属していた三島雅夫(1906年 - 1973年)の紹介状を得て、女優夏川静江(1909年 - 1990年)に師事し、夏川が所属する日活太秦撮影所に入社[1][2][3][4][5][6]。同期には大日方伝、小杉勇がいた[3][5][6]。1931年(昭和6年)2月17日(一説に2月25日)に公開された内田吐夢監督映画『ジャン・バルジャン
』で映画デビュー[1][2][3][4][5][6]。