井戸正枝
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日本政治家井戸 正枝いど まさえ
井戸まさえ(第46回衆議院議員総選挙時)
生年月日 (1965-12-13) 1965年12月13日(58歳)
出生地宮城県仙台市
出身校東京女子大学大学院博士後期課程
前職ジャーナリスト(東洋経済新報社
所属政党(民主党→)
民進党→)
旧立憲民主党→)
立憲民主党→)
国民民主党
公式サイト井戸まさえ 立憲民主党 東京都第15総支部長
衆議院議員
選挙区兵庫1区
当選回数1回
在任期間2009年8月30日 - 2012年11月16日
兵庫県議会議員
選挙区東灘区選挙区
当選回数2回
在任期間2005年7月 - 2009年7月31日
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井戸 正枝(いど まさえ、旧姓は小形、勝又、1965年〈昭和40年〉12月13日 - )は、日本政治家国民民主党所属。衆議院議員を1期、兵庫県議会議員を2期務めた。文筆業の際は「井戸まさえ」の名を使う。
経歴

宮城県仙台市出身。仙台市立東華中学校宮城県第二女子高等学校、1988年東京女子大学文理学部史学科卒業、同大学大学院博士後期課程修了。博士生涯人間科学)。松下政経塾9期生。松下政経塾の同期には、秋葉賢也市村浩一郎本多平直松野博一などがいる。1990年(平成2年)、東洋経済新報社入社、データ編集担当となる。その後「緒方あきの」のペンネームで経済ライターとして活動[1]

その後、松下政経塾8期生の勝又恒一郎[2]と結婚し神奈川県で暮らす。2002年3月に勝又と正式離婚。

2003年(平成15年)4月13日、兵庫県議会議員選挙に芦屋市選挙区から無所属で出馬するも落選。

2002年(平成14年)11月、現夫の井戸智樹と入籍し男児を出産する[3]が、出産が前夫と離婚後265日だったことで民法772条の「300日規定」に抵触したため、芦屋市役所から「前夫を父とする出生届を提出するよう」要求され、これを拒否したため子が一時無戸籍状態となった。

このため、現夫との親子関係を「強制認知」するよう求める裁判を2003年神戸地裁尼崎支部に提訴し、同年11月に勝訴する[4]

2005年(平成17年)7月3日、兵庫県議会議員補欠選挙において東灘区選挙区から民主党公認で出馬し、当選。2007年(平成19年)4月8日執行の兵庫県議会議員選挙で2期目の当選。

また、民法の不備を身をもって経験した経験から、2008年に「無戸籍児問題家族会」を結成、事務局長に就任。更に、NPO法人「親子法改正研究会」を立ち上げる。

2009年(平成21年)7月31日、兵庫県議会議員を辞職し、[5]8月30日第45回衆議院議員総選挙兵庫1区から出馬。初当選。

2011年(平成23年)8月26日、菅直人首相が民主党代表辞任を正式に表明[6]。菅の辞任に伴う代表選挙(8月29日投開票)では前原誠司の推薦人に名を連ねた[7]

2012年(平成24年)12月16日第46回衆議院議員総選挙に兵庫1区から出馬するも落選。その後も民主党兵庫県第1区総支部長。

2014年(平成26年)12月14日第47回衆議院議員総選挙に民主党候補として宮城4区から出馬するも落選[8]

2015年(平成27年)、藤田憲彦の後任として民主党東京都第4区総支部長に就任。

2016年(平成28年)3月27日、民進党が設立。同年、同党の東京都第4区総支部長に就任。

2017年(平成29年)9月28日、民進党は希望の党への合流を決定[9]10月2日枝野幸男が新党「立憲民主党」の結成を宣言。同日、井戸は第48回衆議院議員総選挙に立憲民主党から出馬する意向を表明した[10][11]。10月3日、希望の党は衆院選の第1次公認192人を発表。同党が東京4区に、第24回参院選自民党候補者公募で最終選考まで残った難波美智代を擁立したことが明らかとなった[12][13]。10月4日、立憲民主党の候補予定者15人は合同で記者会見し、井戸は「排除されない社会を作っていきたい」と述べた[14]。10月22日、総選挙執行。東京4区は井戸、難波、共産党新人候補の3者で票が分散し、次点で落選。比例復活もかなわなかった[15]

2018年(平成30年)4月、記事「サイボウズ青野社長の「別姓訴訟」、日本会議への接近に戸惑う人たち」が朝日新聞論壇委員が選ぶ今月の3点に選出(選者森千香子一橋大学大学院社会学研究科准教授)[16][17]

2020年(令和2年)9月29日、旧立憲民主党と旧国民民主党の合流新党である「立憲民主党」は常任理事会を開き、井戸を次期衆院選東京4区公認候補に内定した[18]

2021年(令和3年)10月12日、立候補予定の選挙区を東京15区に変更することが発表された[19]。総選挙間際に選挙区を変更した背景には、15区を地盤とする柿沢未途衆議院議員が首班指名選挙岸田文雄自民党総裁に投票したことや、立憲と選挙区の棲み分けを進める共産党側から4区を譲るように求められていた事情があった[20]。10月31日、投開票の結果、柿沢が当選した。立憲民主党は比例東京ブロックで4議席を獲得。6番目の惜敗率(77.337%)だった井戸は比例復活もかなわず、落選した[21][22]


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