井戸木
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井戸木
町丁
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日本
都道府県 埼玉県
市町村 上尾市
地区大石地区
面積
 ? 合計0.5904[1] km2
標高21.5[2] m
人口(2017年(平成29年)10月1日現在)[3]
 ? 合計4,886人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号362-0071[4]
市外局番048(浦和MA[5][6]
ナンバープレート大宮
座標の場所は井戸木記念会館を示す。

井戸木(いどぎ)は、埼玉県上尾市にある町名。市の統計などでは大石地区で分類されている。

現行行政地名は井戸木一丁目から四丁目。住居表示未実施地区[7]郵便番号は362-0071[4]
地理

埼玉県の中央地域(県央地域)で、上尾市北部の大宮台地上に位置し、桶川市と隣接する。かつては桶川市側にも大字井戸木として残っていたが地名変更により消滅している(後述)。その経緯から特に1丁目、2丁目は三方を桶川市に囲まれている。泉台中妻のほか、桶川市の若宮鴨川朝日に隣接している。地区の西端を鴨川暗渠で南に流れる。全域が市街化区域[8]で主に第一種低層住居専用地域(主要な通り沿いは第一種中高層住居専用地域第二種住居地域)に指定され、全体的に住宅地となっている。また、一部生産緑地地区として耕作地も見られる。井戸木二丁目32番地に上尾市の最高地点(標高21.5 m)がある[2]

地内に集落跡である井戸木三丁目遺跡(県遺跡番号:14-224[8])や井戸木二丁目遺跡(県遺跡番号:14-227)などがあり、土器片も発掘されている。
地価

住宅地の地価は、2019年平成31年)の都道府県地価調査によれば、井戸木四丁目36-14外の地点で10万5000円/m2となっている[9]
歴史

かつては江戸期より存在した武蔵国足立郡大谷に属する井戸木村で、古くは足立郡のうちの中世末期頃より見出せる伊奈荘(いなのしょう)に属したと云う[10]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では151余(田27石余、畑123石余)[11]、『元禄郷帳』や『天保郷帳』によると216石余であった。化政期の戸数は40軒余で、村の規模は東西10、南北15町余であった[12]。名前の由来はスイカズラ科の潅木であるエドノキの訛化と云われている[2][10]助郷中山道桶川宿に1694年(元禄7年)より出役し、勤高は118石てあった[13]。1759年(宝暦9年)では勤高は260石てあった。領家村の流作場入会地)からの客土用土採取に関して中分村、小泉村、小舗谷村(小敷谷)との間で取交わしていた土取協定に1826年(文政9年)より加わった[13]

1875年(明治8年)の農業産物高は『武蔵国郡村誌』によると米7.34石、陸稲20石、4.7石、大麦174.1石、小麦43.7石、大豆18.7石、栗20石、甘藷13000貫であった[14][注釈 1]

1955年1月の合併(昭和の大合併)で井戸木を含む大石村は上尾町となったが、この地域は地理的に桶川宿に近く、古くから桶川との関係が深かった。そのため桶川町に編入を希望する住民が多く、上尾町成立後も桶川町への編入を求める運動が続き、上尾派(愛郷同志会)と桶川派で対立を招くこととなった[15][16][17]。県の町村合併促進審議会の実情調査後の勧告により、桶川町側は異論はなかったが、上尾町側は難色を示した。その後上尾・桶川の両町長および両議長と県地方課長らで協議した結果、住民の意思を尊重して北部に位置する後地区の全域を翌年4月1日に桶川町に編入し[18][19]、翌日に上尾町に留まることを希望した一部の世帯を再び上尾町に編入することで決着を見ることとなった[17][18]。これにより上尾町、桶川町の両方に井戸木という地名が並立することとなった。その後桶川市大字井戸木は住居表示の実施により行政地名から消滅し、新たな町名に変更された。現在の鴨川[20]の大半、若宮[21]の一部がこれに相当する。

上尾市においてもこの地域で区画整理事業が実施されて大字井戸木は無くなったものの、地番整理などもあって従前の大字とは完全に一致するものではないが[2]、新町名に井戸木が採用され行政地名として存続することとなった。

1590年天正18年)は旗本西尾氏の知行地(後に慶長7年立藩して原市藩となる)[10]1618年元和4年)より西尾氏の移封により上知され幕府領となる。1624年寛永元年)より一部岩槻藩阿部氏領で残りは旗本柴田氏の知行地となる[10][2]


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