日本の政治家井戸 敏三いど としぞう
2009年10月4日、兵庫県神戸市にて
生年月日 (1945-08-10) 1945年8月10日(78歳)
出生地 日本 兵庫県揖保郡新宮町
出身校東京大学法学部卒業
前職自治省大臣官房審議官
称号シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州功労勲章
井戸 敏三(いど としぞう、1945年〈昭和20年〉8月10日 - )は、日本の自治・総務官僚、政治家。兵庫県知事(第48代-第52代)[3]として兵庫県政史上最多の5期20年にわたり県政を牽引。知事退任後、公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構特別顧問[4]。兵庫県副知事(1996年 - 2001年)、関西広域連合連合長(初代)なども務めた。 兵庫県揖保郡新宮町(現、たつの市)出身の神奈川県横浜市育ち。材木の仲介等をおこなっていた父の仕事の関係で、小学校3年生の時に横浜に転居。新宮小学校のクラスメートに弁護士の丸山和也がいた。
経歴
1964年3月:東京都立日比谷高等学校卒業。
1968年3月:東京大学法学部第2類(公法コース)卒業[5]。
1968年4月:自治省(現、総務省)入省(同期に早川忠孝、西川一誠、谷本正憲)。
1987年8月:運輸省航空局飛行場部環境整備課長[6]。
1989年6月:自治省行政局選挙部政治資金課長[6]。
1991年10月:自治省大臣官房文書課長[6]。
1992年7月:自治省財政局地方債課長[6]。
1993年7月:自治省大臣官房総務課長[6]。
1995年1月:自治省大臣官房審議官(選挙担当)[6]。
1995年7月:自治省大臣官房審議官(選挙、共済等担当)[6]。
1996年4月 - 2001年6月:兵庫県副知事(2期5年)。
2023年11月3日:秋の叙勲で旭日大綬章を受章[7][8]。
兵庫県知事として
井戸県政の歴史
2001年7月:貝原俊民の辞職に伴い、兵庫県知事選に立候補し初当選。
2001年8月1日:兵庫県知事に就任。
2002年3月:男女共同参画社会づくり条例公布。
2002年4月:人と防災未来センター(神戸市)、兵庫県立美術館(神戸市)開設。
2003年4月:兵庫県立粒子線医療センター(たつの市)が一般診療開始。
2003年8月:兵庫県災害医療センター(神戸市)開設。
2004年10月:台風23号による但馬や淡路の被害(死者26名)に対応。
2005年1月17日:阪神・淡路大震災10年。
2005年3月:兵庫県民緑税条例制定。
2005年4月25日:JR福知山線脱線事故(乗客106名犠牲)に対応。
2005年7月:革新系候補を大差で下し、再選。
2005年10月22日:兵庫県立芸術文化センター(西宮市)開設。
2006年2月16日:神戸空港開港。
2006年9月:のじぎく兵庫国体(10月まで)。
2007年10月13日:兵庫県立考古博物館(播磨町)開館。
2008年10月:新行改プラン策定。
2009年5月:新型インフルエンザの国内初発生に対応。
2009年7月:革新系候補を大差で下し、3選。
2009年8月:兵庫県西・北部豪雨の発生(佐用町などで死者20名、行方不明者2名)に対応。
2009年11月1日:兵庫県立加古川医療センター(加古川市)開設。
2010年10月4日:山陰海岸が世界ジオパークに認定。
2010年12月:関西広域連合の初代連合長に就任。
2011年3月11日:東日本大震災発生。関西広域連合がカウンターパート方式で被災地支援。
2011年4月:兵庫県立ものづくり大学校(姫路市)開校。
2012年11月3日:横尾忠則現代美術館(神戸市)開館。
2013年4月13日:淡路島地震の発生(負傷者26名、全半壊139棟)に対応。
2013年7月21日:2013年兵庫県知事選挙で公明党、社民党、自民党県連、民主党県連の推薦と支援を受けて、共産党推薦候補を過去最多得票で破り4選[9]。