いがわ ひさし
井川 比佐志
1962年
生年月日 (1936-11-17) 1936年11月17日(87歳)
出生地 満洲国・奉天市
国籍 日本
身長170 cm[1]
血液型O型[1]
職業俳優、声優
ジャンルテレビドラマ、映画
配偶者あり
事務所フリーランス
主な作品
テレビドラマ
『男はつらいよ』
『あしたがあるから』映画
『家族』
『遠い一本の道』
『四十七人の刺客』
受賞
日本アカデミー賞
第15回 優秀主演男優賞
『上方苦界草紙
井川 比佐志(いがわ ひさし、1936年11月17日[1] - )は、日本の俳優、声優。満洲国奉天市(現・中国・瀋陽市)生まれ。東京都出身。 父親は測量技師で、戦後は日本測量専門学校(現在の国土建設学院)で測量士の育成にも尽力した。 小学生の頃、旧満洲からの引き揚げを経験。 1955年、東京都立千歳丘高等学校を卒業。 高校卒業後に俳優座養成所に第7期生として入所。のちに行動をともにする田中邦衛とは同期であった。 1958年、座員に昇格。 1962年、安部公房原作・脚本、勅使河原宏の監督映画『おとし穴』に主演して注目を浴びる。 1973年に退座し、田中らと「安部公房スタジオ」の旗揚げに参加。 現在はフリーランスで活動。 1968年にはテレビドラマ版『男はつらいよ』で諏訪博士役を演じ、一躍知名度を上げる(映画版とは対照的な眼鏡にスーツ姿という風貌の町医者姿であった)。映画版でも『男はつらいよ 望郷篇』に出演しており、映画版の博を演じた前田吟に似た風貌のキャラクターを演じた。 演劇界の数少ない庶民派として作品を支えるバイプレイヤーであり、黒澤明や山田洋次、小泉堯史作品の常連として重用された。 リチャード・バートン、マーロン・ブランド等の吹き替えも担当している(ピエール・ブーレーズも担当)。
来歴・人物
出演作品
映画
純愛物語(1957年、東映)
第五福竜丸(1959年、近代映画協会+新世紀映画)
銀座のお兄ちゃん挑戦す(1960年)
赤坂の姉妹より 夜の肌 (1960年、東京映画)
顔役暁に死す(1961年)
おとし穴(1962年、ATG) - 炭坑夫Aと第二組合長
切腹(1962年、松竹)
白と黒(1963年、東宝)
三匹の侍(1964年、松竹)
銃殺(1964年、東映)
霧の旗(1965年、松竹)
他人の顔(1966年、東宝)
一万三千人の容疑者(1966年、東映)
組織暴力(1967年、東映)
東宝8.15シリーズ(東宝)
日本のいちばん長い日(1967年)
激動の昭和史 沖縄決戦(1971年) - 伊藤大尉[2]
御用金(1969年、東宝)
トラ・トラ・トラ!(1970年、20世紀フォックス)
家族(1970年、松竹)
どですかでん(1970年)
男はつらいよ 望郷篇(1970年)
時の崖(1971年)
戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河(1971年)
故郷(1972年、松竹)
青春の門(1975年)
わが青春のとき(1975年)
動脈列島(1975年)
同胞(1975年)
化石(1975年) - 船津
不毛地帯(1976年)
遠い一本の道(1977年、国鉄労働組合) - 滝ノ上市蔵(主演)
八つ墓村(1977年、松竹) - 井川勘治
曽根崎心中(1978年) - 平野屋久右衛門
夜叉ヶ池(1979年、松竹) - 鯉七
天平の甍(1980年)
日本フィルハーモニー物語 炎の第五楽章(1981年) - 大野先生
夏の別れ(1981年) - おやじ
日本の熱い日々 謀殺・下山事件(1981年) - 李中漢
ひめゆりの塔(1982年)
地平線(1984年)
パンツの穴(1984年)
乱(1985年)
タンポポ(1985年)
植村直己物語(1986年) - 植村修
ブラックボード(1986年)
鹿鳴館(1986年)
ハチ公物語(1987年)
刑事物語5 やまびこの詩(1987年)
帝都物語(1988年)
童謡物語(1988年)
226(1989年) - ナレーション
夢(1990年)