井岡弘樹
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井岡 弘樹基本情報
本名井岡 弘樹
階級ミニマム級
ライトフライ級
身長172cm
リーチ174cm
国籍 日本
誕生日 (1969-01-08) 1969年1月8日(55歳)
出身地大阪府堺市
親戚井岡一翔(甥)
スタイル右ボクサー
プロボクシング戦績
総試合数42
勝ち33
KO勝ち17
敗け8
引き分け1
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井岡 弘樹(いおか ひろき、1969年1月8日 - )は、日本の元プロボクサータレント

第2代日本ミニマム級王者、元WBC世界ミニマム級王者、元WBA世界ライトフライ級王者。大阪府堺市出身。現役時代はグリーンツダボクシングクラブ所属。エディ・タウンゼントの最後の愛弟子。井岡弘樹ボクシングジムの会長を務める。
人物

元々は野球少年で南海ホークス友の会会員。ボクシング好きの父に影響されて赤井英和に憧れ、中学2年生の時に赤井が所属する三和ツダジム(現・グリーンツダジム)へ同級生3人で入門。(詳しくは後藤正治のノンフィクション 遠いリングに記載されている)

入門当初から将来の世界王者として津田博明会長に期待され、海老原博幸藤猛柴田国明ら多くの世界王者を輩出した名伯楽エディ・タウンゼントの指導を受ける(後に、エディが指導した最後の世界王者となる)。

エディがデビュー前の少年の指導を任されることは異例であったが、井岡は津田会長の期待通りに成長し、デビュー前から当時の日本王者や世界ランカークラスの選手を圧倒する実力を身に付けており、義務教育終了と同時に三和ツダジムでの合宿を経て17歳でプロデビュー。

1986年1月23日、関西の選手としては異例の後楽園ホールでのデビュー戦(ミニマム級第1号選手、日本プロボクシング史上初の同級の公式試合)を行い、井岡は3回KO勝利でデビュー戦を飾り以降も連勝街道を走る。

軽量級としては恵まれた体格を生かしたアウトボクシング、そして軽量級らしい伸びのある左ジャブ・右ストレートを武器に国内最年少の18歳9ヶ月10日でWBC世界ミニマム級王座を獲得した。

1991年12月にはWBA世界ライトフライ級王座も獲得しファイティング原田柴田国明に続き史上3人目となる世界王座2階級制覇を達成した。

1987年、第2代日本ミニマム級王者(獲得時の最年少日本王者であり、国内最年少世界王者[1][2] ともに2020年9月現在も破られていない)

1987年、WBC世界ミニマム級王者

1991年、WBA世界ライトフライ級王者

サウスポースタイルの対戦相手を苦手としており、ナパ・キャットワンチャイ戦以降は、所属ジム会長が世界戦(飯田覚士 be戦)以外はマッチメイクでサウスポーの選手を避けていたというエピソードもある。

現役時代の主な入場曲は映画トップガン劇中歌であるTEENA MARIEの「LEAD ME ON」と映画ロッキー3主題歌であるSurvivorの「Eye of the Tiger」。

2002年8月25日、井岡ボクシングジムを設立。会長を務める。

2013年2月に行われた西日本ボクシング協会会長選挙で当選を果たし、4月1日より任期3年で就任[3]井岡弘樹ジム

2013年6月1日井岡ボクシングジムを兄に譲渡し、「井岡弘樹ボクシングジム」を新設しプロボクサー育成とボクシエットを一般の皆さんに広く普及させボクシングファン獲得に奔走中。

現役時代のライバルに元WBA・WBC世界ミニマム級王者で後に日本プロボクシング協会会長も務めた大橋秀行がおり、両者の対戦がファンから熱望されていたものの、結局は実現しなかった。


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