井岡一翔
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井岡 一翔基本情報
本名井岡 一翔
階級スーパーフライ級
身長165cm
リーチ166cm
国籍 日本
誕生日 (1989-03-24) 1989年3月24日(34歳)
出身地大阪府堺市
家族井岡一法(父)
親戚井岡弘樹(叔父)
スタイルオーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数34
勝ち31
KO勝ち16
敗け2
引き分け1
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獲得メダル
日本
男子 ボクシング
キングスカップ
銅2008 バンコクライトフライ級

井岡 一翔
YouTube
チャンネル

井岡 一翔 Diet Academy

活動期間2020年6月9日 -
登録者数約1万5千人
総再生回数約152万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2023年7月22日時点。
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井岡 一翔(いおか かずと、1989年3月24日 - )は、日本プロボクサー大阪府堺市出身。現WBA世界スーパーフライ級王者。元WBAWBC世界ミニマム級統一王者。元WBA世界ライトフライ級王者。元WBA世界フライ級王者。元WBO世界スーパーフライ級王者。日本人男子初の世界4階級制覇王者[1]。父・井岡一法が会長を務める井岡ボクシングジム・プロフェッショナルSANKYODANGAN AOKIボクシングジム(旧Reason大貴ボクシングジム)を経て志成ボクシングジム(旧Ambition GYM)所属。興國高等学校卒業・東京農業大学中退。メディア応対はマネジメント契約を結んでいるトラロックエンターテインメントが行なっている。

既婚者であり2児の父である。
来歴
アマチュア時代

中学1年時に叔父である井岡弘樹が所属していたグリーンツダジムボクシングを始め、中学3年時に叔父と父が設立した井岡ジムへ移籍。興國高等学校在学中にはライトフライ級で2年時に選抜大会インターハイ晴れの国おかやま国体で優勝し、2005年度アマチュア部門新鋭賞を受賞。3年時も選抜大会、インターハイ、のじぎく兵庫国体の各大会で優勝して粟生隆寛大迫亮らに次ぐ史上3人目の高校6冠を達成した[2]

高校卒業後は東京農業大学に進学して北京オリンピック出場を目指したが、1年時の全日本アマチュアボクシング選手権大会決勝で大久保賢児に1ポイント差で敗れ出場を逃した。翌2008年キングスカップでは、前年の世界選手権で銅メダルを獲得したタイのアムナット・ルエンロン[3]に準決勝で敗れたものの、銅メダルを獲得[4]。同年の全日本選手権の決勝では林田太郎(駒大1年)に1ポイント差で敗れ2年連続準優勝となった[注釈 1]。大学では秋田わか杉国体チャレンジ!おおいた国体で優勝したが[5][6]、北京オリンピックという目標が消えたことを理由にプロ転向を決め、大学を2年途中で中退した[7]
プロ転向

2009年1月18日、B級プロテストに合格してB級ライセンスを取得し[7]、同年4月12日に大阪府立体育会館第1競技場でプロデビュー。メインイベントでタイ王国フライ級王者のトンタイレック・ポーウォラシンとライトフライ級ノンタイトル6回戦を行い、3回26秒TKO勝利を収めた[8]

2009年7月26日、大阪府立体育会館第1競技場で日本ミニマム級7位の松本博志角海老宝石)とライトフライ級ノンタイトル8回戦を行い、2R終了間際にノックダウンを奪ってから連打をまとめて2回2分59秒TKO勝利を収めた[9]

2009年12月29日、大阪府立体育会館第1競技場でWBA世界ライトフライ級9位・WBC世界ライトフライ級12位の國重隆大阪帝拳)とライトフライ級ノンタイトル10回戦を行い、10回3-0(99-92、98-93、97-94)の判定勝利を収めた。この勝利でWBA、WBCともライトフライ級14位にランクされた[10]。なお、この試合はメインイベントとして行われ、世界タイトルマッチである高校の先輩石田順裕金沢)のWBA世界スーパーウェルター級暫定王座の防衛戦がノンタイトル戦の前座となる日本では異例の扱いだった。また、CS放送(スカイ・A sports+)ながら生中継もされた。

2010年4月18日、大阪府立体育会館第1競技場でOPBF東洋太平洋ミニマム級7位・インドネシアミニマム級王者のヘリ・アモルとライトフライ級ノンタイトル10回戦で対戦。9回にアマチュア時代を含め初めてダウンを奪われたが[11]、10回3-0(98-91、98-92×2)で判定勝利を収めた。

2010年7月25日、大阪府立体育会館でフィリピンフライ級8位のアルバート・アルコイとライトフライ級ノンタイトル10回戦を行い、9回TKO勝利を収めた[12]。この試合は同一興行内で行われた亀田興毅大毅兄弟の試合と合わせ「トリプル世界前哨戦」としてTBSで中継され、以降の試合も同局が中継するようになる。

2010年10月10日、大阪府立体育会館第2競技場で日本ライトフライ級1位の瀬川正義(横浜光)と日本ライトフライ級座決定戦を行い、10回1分57秒負傷TKO勝利で王座を獲得した[13]。その後、12月15日に世界王座挑戦へ専念するため同王座を返上した[14]
世界ミニマム級タイトル獲得

2011年2月11日、神戸ワールド記念ホールでWBC世界ミニマム級王者オーレイドン・シスサマーチャイ(タイ)に挑戦。2回に左フックでダウンを奪い、5回に左ボディブローで2度目のダウンを奪うとレフェリーがカウントを途中でストップ。5回1分7秒TKO勝利を収め、辰吉丈一郎名城信男の当時として国内最速記録を更新する7戦目(2015年に田中恒成により5戦に更新される)での世界王座獲得に成功すると共に平成生まれの選手としては初の世界王者[注釈 2]となり、試合後のインタビューでは周囲への感謝を語った後に4階級制覇を宣言した[15]。当時、リング誌の編集長だったナイジェル・コリンズは、「井岡の非凡な功績は3戦目でスーパーライト級世界王座を獲得したセンサク・ムアンスリンを彷彿させる」と言って、この戴冠劇を絶賛した[16]

2011年8月10日、後楽園ホールでWBC世界ミニマム級1位でNABF北米ミニマム級王者のフアン・エルナンデスメキシコ)と対戦し、12回3-0(116-112、117-111、118-111)の判定勝利を収め初防衛に成功した[17]

2011年12月31日、大阪府立体育会館でWBC世界ミニマム級10位でWBC世界ミニマム級ユース王者のヨードグン・トーチャルンチャイ(タイ)と対戦し、初回1分38秒TKO勝ちを収め2度目の防衛に成功した[18]。なお、この試合のKOタイムは1972年に輪島功一がマークした初回1分49秒を抜いて当時の日本の選手による世界王座防衛戦としては最速であり、世界戦全体でも1992年に平仲明信が王座奪取したときの初回1分32秒に次ぐ記録である[19](双方の記録とも、のちに井上尚弥が2018年に初回1分10秒の記録で更新)。
WBA王者との統一戦詳細は「井岡一翔 対 八重樫東戦」を参照

2012年6月20日大阪府立体育会館でWBA世界ミニマム級王者八重樫東大橋ジム)と日本人による初のWBA・WBC世界王者同士の統一戦を行った。試合は序盤より両者の持ち味を発揮したが、八重樫の両まぶたを腫らすなど的確な有効打を集めた結果、12回3-0(115-114、115-113×2)の判定勝ち。WBC王座3度目の防衛ならびにWBA王座獲得に成功。日本人初となる(男子かつ同一階級の)世界王座統一を果たした。しかしながら、WBA・WBC両団体より今回の試合を王座統一戦として認定する条件として「この試合の勝者は10日以内にWBA・WBCいずれかの王座を返上する事」が義務付けられていたため、その条件に従う形で王座統一から9日後の6月29日、WBC王座を返上することを発表した[20]。この試合後はライトフライ級での2階級制覇を目指すことになり[21]、4か月後の10月5日にWBA王座も返上した。

井岡は王座統一後、リング誌のランキングを2位から1位に上げた。

この勝利により、トレーナーである父・一法は同年度のエディ・タウンゼント賞を受賞した[22]
ライトフライ級転向

2012年12月31日、大阪府立体育会館で元WBA世界ライトフライ級暫定王者でWBA世界ライトフライ級5位のホセ・アルフレド・ロドリゲス(メキシコ)とWBA世界ライトフライ級レギュラー王座決定戦で対戦し、井岡がロドリゲスから1回と6回の合計3度のダウンを奪い、6回2分50秒TKO勝ちを収め、日本人選手最短のプロ11戦目での2階級制覇を達成した[23][24][25][26]

2013年1月7日、2012年の年間表彰選手選考会で井岡が最優秀選手賞を受賞した。また「井岡一翔 対 八重樫東戦」が「年間最高試合」を受賞した[27]

2013年1月24日、同年2月23日までの30日間でWBA世界ライトフライ級スーパー王者ローマン・ゴンサレス 対 井岡一翔戦が両者にとって次戦となるよう交渉して合意するようにとWBAより通達を受け[28]、同年2月7日、WBAは同月18日に最低価格を8万米ドルとする入札を行うと発表し、ファイトマネーの配分がゴンサレスが75%、井岡が25%となることが確定した[29]。しかし、2月15日、ゴンサレス戦に消極的だった井岡陣営からの要望により入札は中止となり延期されることとなった[30][31][32]


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