井口 昭彦(いぐち あきひこ[1][2]、1943年6月29日[3][1][2] - )は日本のデザイナー、美術監督、特殊美術GAM
主宰[3][2]。かつて、本名の高橋昭彦名義で活動していた時期もあった[3][2]。また亜?比古というサインも用いている[4]。長男は映画カメラマンの高橋創[5][3]。長女はCGデザイナーの高橋玲香[6]。 長野県[7][1]松本市出身[8]。長野県松本深志高等学校卒業後、武蔵野美術大学で美術を学ぶ[3][2]。同時期の在校生には、のちに円谷プロ作品などで仕事を共にする池谷仙克がいた。舞台美術の世界を志していたが、大学在学中にTBSテレビの美術スタッフを経て、円谷プロで『ウルトラマン』『ウルトラセブン』などの特撮美術スタッフに加わる[3][1][2]。『マイティジャック』よりデザイナーを務める[1]。 『ウルトラマン80』などのキャラクター&怪獣デザイナーとして知られる山口修は高校の後輩にあたる。 『帰ってきたウルトラマン』からはメカニックと怪獣デザイナーも兼任し[9]、『ウルトラマンA』では多数の超獣をデザイン[3]。1973年以降、東宝作品にも参加するようになり、メカゴジラやチタノザウルスなど、現在でも高い人気を誇る怪獣のデザインを手掛けた[3][2]。 メカニックデザインにおいては、必ずしもリアリティを重視してはおらず、必要に応じて機械的に理にかなっているデザインと遊びを意識した面白いデザインとを使い分けている[1]。 怪獣デザインにあたっては、『ウルトラマン』のデザイナーであった成田亨のやり方を踏襲し、脚本を読んでからイメージを練り上げるという段取りをとっている[1]。メカゴジラには造形段階でデザイン画にはなかった「MG」という意匠が加えられているが、これについて井口は宇宙から来たロボットなのに地球の文字が付けられたことを憤っており、造形を手掛けた安丸信行に対して「台本を読んでいないだろう」と苦言を呈したという[1]。
略歴
作風
主な参加作品
美術・特殊美術
1968年『マイティジャック』[注釈 1]
1968年『戦え! マイティジャック』
1971年『帰ってきたウルトラマン』
1972年『ウルトラマンA』
1973年『人間革命』[7]
1973年『日本沈没』[7]
1974年『ノストラダムスの大予言』
1978年『UFO大戦争 戦え! レッドタイガー』
1978年『スターウルフ』
1978年『西遊記』
1979年『西遊記II』
1979年『メガロマン』
1985年『テラ戦士ΨBOY』
1988年『未来忍者 慶雲機忍外伝』
1988年『電脳警察サイバーコップ』
1991年『ゼイラム』
1993年『仮面ライダーZO』
1994年『仮面ライダーJ』
1994年『ゼイラム2』
1995年『人造人間ハカイダー』
1996年『超光戦士シャンゼリオン』
1996年『人造人間ハカイダー ディレクターズカット版』
1997年『タオの月』
1998年『ウルトラセブン誕生30周年記念3部作』
1998年『ズッコケ三人組 怪盗X物語』
1999年『ウルトラセブン1999最終章6部作』
1999年『ブースカ! ブースカ!!』
2000年『ウルトラマンネオス』
2003年『オタスケガール』
2007年『五龍奇剣士/Metal kaiser』(中国)
2008年『252 生存者あり』[7]
キャラクターデザイン
1968年『マイティジャック』
クラッチャー(第11話)[10][注釈 2]
キャリー・サブ(第11話)[10][2]
スカイマンモス(第13話)[10][2]
1971年 - 1972年 『帰ってきたウルトラマン』
マットアロー1号[10][2]
マットアロー2号
マットジャイロ
MAT海底基地全景
航空機カタパルト
水牛怪獣 オクスター(第30話「呪いの骨神 オクスター」)[11]