井口 資仁(井口 忠仁)千葉ロッテマリーンズ監督時代
(2019年4月2日、東京ドームにて)
基本情報
国籍 日本
出身地東京都田無市
(現:西東京市)
生年月日 (1974-12-04) 1974年12月4日(49歳)
身長
体重178[注釈 1] cm
91[注釈 2] kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション二塁手、遊撃手、一塁手
プロ入り1996年 ドラフト1位(逆指名)
初出場NPB / 1997年5月3日
MLB / 2005年4月4日
最終出場MLB / 2008年9月28日
NPB / 2017年9月24日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
國學院大學久我山高等学校
青山学院大学
福岡ダイエーホークス (1997 - 2004)
シカゴ・ホワイトソックス (2005 - 2007)
フィラデルフィア・フィリーズ (2007)
サンディエゴ・パドレス (2008)
フィラデルフィア・フィリーズ (2008)
千葉ロッテマリーンズ (2009 - 2017)
監督歴
千葉ロッテマリーンズ (2018 - 2022)
国際大会
代表チーム 日本
五輪1996年
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井口 資仁(いぐち ただひと、本名:井口 忠仁〈読み同じ〉、1974年〈昭和49年〉12月4日 - )は、東京都田無市(現:西東京市)出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)[3]・監督、解説者・評論家。
福岡ダイエーホークス・千葉ロッテマリーンズ時代に日本シリーズ優勝を3度、シカゴ・ホワイトソックス・フィラデルフィア・フィリーズ時代にワールドシリーズ優勝を2度、それぞれ経験している。
2018年シーズンから2022年シーズンまでロッテの監督を務めていた[4]。 東京都田無市(現:西東京市)で生まれる。軟式野球チーム「ビクトリー」で捕手として野球を始め、小学6年時に硬式野球チームの「保谷リトルリーグ」に移り、内野手に転向。小学校と中学校では最高学年で主将を務める。中学3年時には全国大会に出場した。野球を本格的に始めた中学時代にはPL学園高校の甲子園春夏連覇を見ており、特にその中心選手だった立浪和義に憧れていた[5]。 國學院久我山高等学校でも遊撃手としてプレー。1991年、2年の夏に3番・遊撃手として全国大会に出場。2年の秋から主将を務めたが、翌1992年の春と夏の甲子園全国大会出場を逃した。 1993年に青山学院大学へ進学後も遊撃手として同大学野球部でプレー。1年からリーグ戦に出場し春のリーグ戦では優勝がかかった5月19日の駒澤大学戦にて、1点リードされた8回に走者2人を置いて(この時の走者の1人はプロでもチームメイトになる小久保裕紀)井口が逆転決勝点となる二点適時打を放ちそのまま勝利。
経歴
プロ入り前
生い立ち