日本の政治家井出 庸生いで ようせい
生年月日 (1977-11-21) 1977年11月21日(46歳)
出生地 日本 東京都
出身校東京大学教育学部
前職日本放送協会(NHK)記者
所属政党(みんなの党→)
(結いの党→)
(維新の党→)
(民進党(江田G)→)
(希望の党→)
(無所属/新政信州→)
自由民主党(麻生派)
称号学士(教育学)
親族祖父・井出一太郎
伯父・井出正一
曽祖父・ 小山邦太郎
公式サイト井出ようせい‐公式サイト‐
井出 庸生(いで ようせい、1977年11月21日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(4期)、自由民主党国会対策副委員長。
祖父は農林大臣、郵政大臣、内閣官房長官、衆議院議員を歴任した井出一太郎。伯父は厚生大臣、衆議院議員、新党さきがけ代表を歴任した井出正一。弟は井出の第一秘書[2]。 東京都生まれ(本籍地は長野県佐久市、現在は佐久市臼田に在住)[3][4]。父親の実家は長野県で酒屋をやっており、父親は東京に出て酒を売る仕事をしていた。武蔵中学校・高等学校卒業[5]。2年間の浪人生活を経て東京大学に入学。2002年3月、東京大学教育学部卒業。東大在学中は硬式野球部主将を務め[3][6]、2000年10月22日の東京大学対立教大学の、上重聡投手が完全試合を達成した試合において27人目の打者を務め代打で出場したが、三振に終わった。 2002年4月、NHKに入局[3]。仙台放送局、横浜放送局にて報道記者を務めた後、2009年12月にNHKを退職した[3]。 2010年、第22回参議院議員通常選挙にみんなの党公認で長野県選挙区から出馬したが、落選[3][7]。 2012年、第46回衆議院議員総選挙にみんなの党公認で長野3区から出馬したが、同区選出であった羽田孜元首相の秘書経験者で、羽田の後継指名を受けた民主党新人の寺島義幸[8]に惜敗。選挙区では次点であったが、重複立候補していた比例北陸信越ブロックで復活し、初当選[3][9]。なお自由民主党新人の木内均も、井出の得票数を約5千票下回ったが比例復活で初当選し、長野3区からは寺島、井出、木内の3人の新人議員が誕生した。 2013年11月の特定秘密保護法案の衆議院本会議における採決では、みんなの党の賛成方針に反して起立せず、法案に反対した(同党の林宙紀も反対)[10]。同年12月9日、みんなの党に離党届を提出し、結いの党の結党に参加。
来歴
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